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北陸新幹線開業のムードに誘われて。

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北陸新幹線が開業する日。

自分は全くといっていいほど関心がないので
朝からいつものようにU道場で朝練をして自己新の回転数を記録した。

夕方、時間が空いたので「せっかくだから行っとく?」と
新高岡駅に行ってみることに。で、さらにせっかくだからと砺波ICから乗って
高岡砺波スマートインターで下りてみたり。

現地に着くと「新幹線の切符をお持ちですか?」と聞かれ
「持ってない」というとスポーツコアの駐車場に誘導された。
そこにTGMがいたから声かけして、新高岡駅に行くとものすごい人の数。

しかも、獅子舞をやっていて、よく見たら一番前にいとこの旦那のODくんが!
しばし獅子舞をながめて、駅の入場券を買いに行くもあまりの長蛇の列に辟易して
とりあえず駅舎の1Fフロアをみてまわった。するとあちこちで知り合いに会う。
やっぱりみんな来ているのだ。はるばる七尾のKTBさんも来てたし。

高岡まできたので、藤子・F・不二雄展に足を運んだ。

生誕80周年記念 藤子・F・不二雄展

展示内容よりも、いったい幾ら掛けてんの?と
そこにばかり意識が行ってしまうような豪華絢爛な展示。
SF(すこしふしぎ)シアターのプロジェクションマッピングで
内容に合わせて前方から風が吹いてきたときには、のけぞりそうに。

しかし、ミノタウロスの皿が1969年の作品だったとは。
今読み返してもまったく古さを感じさせない、エッジの効いたストーリーに
やはりF先生は天才なのだなあ、と思わずにいられなかった。

帰りにリニューアルしたイオンや、BALBA高岡店に立ち寄って終了。

夜高の季節がやってきた。

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(↑写真はSTくんのFBから拝借)


とうとうこの季節がやってきた。

そう、夜高(よたか)の製作がはじまるのである。
うちの町内はこの土日に製作小屋を組み、明日の月曜から製作がはじまる。


砺波夜高まつり


どこの町内も遅かれ早かれ3月から4月には製作をはじめ、

6月第2週の金土に行われる本番に向けて行燈の製作にはげむ。


約100日の長丁場。
自分の場合は4月から利賀の獅子舞の練習もはじまり、二重生活に入る。
もちろん仕事は通常営業しないといけないし、自転車の練習も怠りたくない。

ということで、山あり谷ありだと思いますけど
自分なりに出来る限り製作に顔を出したいと思ってますので
あまり叱らないでくださいね あ~、こわいこわい。


(夜高の製作に関するブログやFBの投稿は控えておこうと思います。
 また夜高警察から手厳しい摘発を受けますからね~

【新刊】 根津明義著『古代越中の律令機構と荘園・交通』

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出来立てホヤホヤの新刊本が送られてきた。

根津明義 2015 『古代越中の律令機構と荘園・交通』 岩田書院

先日やりとりをした際に本をまとめていることは聞いていたが、
これほど早く発刊されるとは思わなかったので驚くとともに、お元気なのだなあと安堵した。

さて、本書は3編から成っている。

第Ⅰ編 東大寺領荘園の開田図と現地比定
第Ⅱ編 古墳時代と律令期の在地社会
第Ⅲ編 古代越中の交通と社会

これまで世に出してこられた論考を主に新たに書き下ろした論考を加えた内容である。
手元に届いたばかりなので斜め読みした程度であるが、荘園図の精緻な検討や
考古学的所見を加えた分析などまさに根津ワールド全開である。

久泉遺跡のこともしっかりと取り上げてもらっているが、きちんと批判的な目も忘れていない。
考古学という立場で書かれたものも多いが、歴史地理学的論考のようでもあり、
文献史学の成果も多用していて、周辺学問分野を縦横無尽に駆け回っているかの
ごとくである。まさに根津考古学の真骨頂を見た思いだ。

自分はひそかに「砺波市学芸員の10か条」というのを作っていて、
その第2条には「学芸員は論文を書くこと」という項目を設けている。
これは根津さんの影響が大きい。自治体の調査員でありながらも精力的に
各方面に論考を発表される姿は、簡単には真似できないが憧れる。

そしてこのような大著を上梓された。

序文にはこう書いてある。

 そんな私は、大学の教員でもなければ埋蔵文化財センターの研究員でもない。
地方における一介の市町村職員である。
 けれども、我々は自分のフィールドをもつことができる。このことは、大学教授や
上級官庁職員、あるいは調査機会の希少な都市職員には叶わない望みだ。
かつては大学教授が学生を帯同して地方に出向き、岩宿遺跡や登呂遺跡などの
歴史を変える発掘調査を成し遂げたが、今、その使命と責任の多くは地方の
市町村職員個々の双肩に掛かっているのである。

それを体現したのが中保B遺跡や東木津遺跡の調査なのだろう。
これらの遺跡の内容を扱うとき、必ず根津さんのことを思い浮かべる。
行政の調査員は制約のある中で調査をし、研究もしなければならない。
が、ともすれば調査だけを仕事として粛々と行う人もいるかも知れない。
しかし、根津さんの場合は遺跡解明のために「最大限の努力」を払っているのが
外野にいてもビンビンと伝わってくる。その姿勢に頭が下がる思いだ。

それと、あとがきには気になる一文も。

 なお、当方はさる難病に冒され本書の刊行をこの目で見るかも定かではない。
私の仕事はここまでであり、学に携わる全ての方々がさらなる追究を成し遂げる
姿を見守ることとしたい。本書を含む先学の研究を破り、これを踏み台として当該地の
歴史を解明してほしい。
 以上の言葉を残し、私はこの世と学の場から去る。

自分はまだまだ根津さんに教えてもらわないといけないことが山ほどある。
そして一緒に飲むという約束も果たしていない。

なので、最後の一文だけはどうしても受け入れることができません。

安曇野市屋敷林フォーラム2015に参加してきた。

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長野県の安曇野市で講演をしてきた。

安曇野市屋敷林フォーラム2015

長野での講演は今年に入って2度目。
1月の市町村担当者講習会からのつながりで今回の依頼があった。

安曇野市は砺波と同じで屋敷林が発達していて、保存されている。
建築士さんやまちづくりに関わる皆さんが中心となってプロジェクトを設立。

屋敷林と歴史的まちなみプロジェクト

砺波のカイニョ倶楽部を参考にして設立されたそうだ。
カイニョ倶楽部は18年、安曇野は10年の歴史がある。
砺波の場合は会員の高齢化と固定化、安曇野は市民に対しての浸透が課題という。

講演、そしてパネルディスカッションに参加。
ディスカッションではカイニョ倶楽部の柏樹直樹さんの独壇場だった。
基調講演は自分じゃなくて、柏樹さんがされるべきだったと思う。

でも講演後に安曇野の議員さんや市民の方が「あなたの考えには共感するところが多い!」
と駆け寄ってくださったのはありがたかった。


講演前に重要文化財の松尾寺、穂高神社と御船の展示館、穂高歴史民俗資料館に
立ち寄った。たしかに安曇野は屋敷林に対しての活動は活発だが、
もしかしたらその他の歴史文化資源との連携はこれからかも知れない。

しかし安曇野風土記の本は立派だった。



フォーラム終了後、全日本最速店長選手権2014で優勝した大石一夫さんのお店を
尋ねたらご本人がおられて、自転車を見せてくださったり、練習方法などのアドバイスを
いただいたり。「今度安曇野に来る時は自転車を持ってきなよ。一緒に練習しよう」と
嬉しいお言葉も。最後にボトルにサインまでいただいて、ウキウキ気分で懇親会に
行ったのでありました。

懇親会では武蔵野市の方ともお話を。
利賀村と姉妹都市だった関係で一方的に愛着を感じているので
宴席をともにすることができ、嬉しかった。

安曇野の方々との再会を約束し、フォーラムは幕を閉じたのでした。
安曇野の皆さん、ご参加の皆さん、ありがとうございました。

毎月第4火曜は「ラジオの日」!

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勝手に戦友のような感覚で接しているMさんから異動のメールをもらい、
朝から衝撃をうけた。でもMさんならどこに行っても逞しくやっていくだろう。
心からエールを送りたい。

さて、今年のテーマとしてはワークライフバランスを考えて
仕事の効率性と生産性を高めたいと思っている。で、時間貧乏を脱出して、
研究と家庭と自転車のトレーニングにもっと時間を割きたいともくろんでいる。

まず、手始めにラジオの出演時間を調整した。
これまで第3火曜にKNBのでるラジ、第4火曜にFMとなみに出演してきたが、
これを1日にまとめることにした。これからは第4火曜を「ラジオの日」と決めて、
11時30分~13時まではFMとなみに出演し、14時すぎからKNBに出演する。
13時から14時まで1時間しかないが、こちらのほうが断然効率的だ。

そして、本日がその実行初日。

結果、なかなか良かったと思う。
まず、FMに出た後すぐにKNBに出るので、ラジオのテンションが保てる。
デスクワークからいきなりラジオだと心のスイッチを切り替える必要があるが、
同じテンションのまま2つのラジオに出演できるので、
良い雰囲気のままKNB入りすることができる。

今日はFMでは安曇野フォーラムや大阪市立大学の案内、農家レストラン、
KORAREのことなどを話し、KNBでは散居村(散村)の話をした。
KNBではまるで学校の授業のような感じになってしまったが、
孤立荘宅のことを目玉焼きに例えたところが良かった、とスタッフの方に言われた。
小林アナとのやり取りもスムースだったと思う。

「富山の林修になったら?」といわれたが、やんわり否定しておいた(笑)

おわってからLINEで数人から「散居村と散村の違いをはじめて知りました」との
連絡が入った。さすが天下のKNB。リスナーのレスポンスが広範囲かつ早い。

というわけで、毎月第4火曜はラジオの日。
気合を入れて、でも入れすぎて早口にならないよう楽しいおしゃべりを心掛けたいと思う。

祝☆完成! 子どものための埋蔵文化財センターをつくりました。

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(↑クリックするとリーフレットのPDFがでてきます)

とうとうこの日を迎えることができた。

砺波市で初めてとなる埋蔵文化財センターが完成した。
場所は砺波市頼成566番地、庄東小学校の敷地内。
359号の頼成(北)の交差点から砺波野大橋に向かって走ると
左手に見えてくる。

今日(4月6日)、オープンの記念式典が10:30からはじまったのだけど、
その30分前まで展示の準備をしていた。本当、ギリギリ(汗)
もちろん、前日から一睡もせずに展示室で完徹。

まさか展示室で一夜を明かすことになるとは。
BGMでテラスハウスのサントラを何度ループしたことか・・・
しかし、温かい差し入れがあり、乗り切ることができた。


このセンターは展示室と研修室、収蔵庫などを備えている。
1階は展示室がメインで、2階が収蔵庫となる。

施設の特徴をざっとまとめると、
1 こども向けのわかりやすい展示
2 いろんな体験や遊びができる
3 荘園の推定地に建っている
4 発掘調査の土層断面を模した外観
5 砺波民具展示室と合わせて文化財の拠点のひとつ


ひとつひとつを取り上げると長くなるので割愛(笑)。

とくに意識したのはターゲットだ。
だいたい小学校6年生から中学校1年生に照準を定めている。
なぜなら簡単だ。歴史を習い始める年齢だから。

そのくらいの年齢層に向けて設定すると、
大人からすると「わかりやすい」という評価につながる。
これは中学校の社会科副読本で思い知らされている。

なので当初はスターバックス風の思いっきりオシャレでカッコいい雰囲気に
しようかと思ったが、いろいろと悩んだ挙句、180度方向転換して
子どもに親しみやすい感じにした。専門家からすると物足りないだろうが
結局、足を運んでくれるのは一般の人が多いのだ。

それともうひとつ、子どもをターゲットにした理由がある。

放課後児童教室が隣接しているのだ。
つねに子どもが近くにいて、場合によっては毎日でも来てくれる可能性があるのだ。
これは全国の埋蔵文化財センターでも珍しいケースだと思う。

そこで展示パネルにはイラストをふんだんに使った。
じつは、とあるデザイナーさんにお願いしてイラストを描いてもらっていたが、
森みちこさんの個展を見て雷を打たれたような衝撃を受け、
まったく面識がなかったが頼み込んで
すべて森みちこさんのイラストに統一してしまった。

森さんはフットワークは軽いし、明るいし、頑張る時はすごく頑張るし、
「おもしろい、おもしろい」と言いながら本当に楽しそうに描く。
ふつう、自分がふだんやっていることは疎ましくなるものだが、その真逆。
しかも、絵のクオリティが高い。自分は森さんは現代の棟方志功なのだと感じている。
まわりの人たちはもっと森さんの才能を評価すべきだ。が、その凄さを感じさせない
フレンドリーさが森さんの魅力でもあるのだけど。



森さんにはたくさん描いてもらったが、このセンター最大の目玉は
「米を都まで運べ!!すごろく」だ。
東大寺の大仏建立に際して747年に利波臣志留志が多くの米を送った史実を
砺波市民の多くは知らない。たぶん、市役所職員でも99%は知らない。
どうすれば親しみやすく学んでもらえるか、と考えて作ったのがコレだ。

(わかる人はわかると思うが兵庫県立考古博物館へのオマージュだ。)

なにふざけてんだ!!と怒る人もいるだろうが、
開館式のあと多くの大人が喜んでいたのはこのすごろくだ。
某県議さんも「これはいい!」と言っていたし、
某委員さんも「この歴史は知らなかったわ!」と即座に反応していた。
森さんのおかげですごく良いものができた。
これで子どもたちがキャーキャー言いながら遊んでくれることを願う。

森さんのようなクリエイティブな仕事をする人はどこかしらアクがあったり
変なプライドがあるので警戒していたけど、それが全くなかったのは
本当に森さんのお人柄なのだと思った。

とにかく森さんと組んで良かった。
まさかあの時期にお願いして(笑)、ここまで完成度の高いイラストを
描いてもらえるとは。本当にありがたかった。

森さん、この場を借りて感謝申し上げます。
無理言いましてすいませんでした。おかげで100%以上のものが出来ました。




つぎに施設について。

決して大きくはない施設だが、身の丈にあったという点では満足している。
この建物は昭和57年に建設された学校の旧寄宿舎を改修したものだ。

たしかに面積は大きくないのだが、その分工夫はしている。
(制約があるほうがなにかと燃える。)

たとえば整理室がない。
これは埋蔵文化財センターとしては失格かもしれないが、今は本調査が頻繁に
ある時代ではないし、ふだん使わない整理室を作るのはもったいない。
かといっていざという時に整理室がないと困るのも事実。

ということで、展示室をふたつに仕切り、奥の展示室を整理室として使えるように。
ブラインドで遮蔽することもできる。


また、展示のレイアウトは可変可能
これは一番大事なところで、最近の展示をみていると◯◯工藝社さんなどが
素晴らしい展示をしているのをよく見るが、莫大な費用もかかるし、
一度作ってしまうと展示を変えることはほぼ出来ない。
そもそも展示替えを想定していないような雰囲気すら感じられる。



自分は移り気なので絶対にすぐに飽きてしまうと思い、
展示ケースやパネルはどんな組み合わせでも対応できる仕様にした。
パネルの大きさは全部統一して、簡単に取り外し可能。
しかも新しいパネルも安価で作れるし(のりパネに毛の生えた程度)、
頑丈なので凹んだりヒヨったりせず、パネルを何度も使える。
ランニングコストと使い勝手の両方を考えて出した結論だ。


だが、そのために展示ケースの設計を大幅に変更してしまい、
工事関係者の皆さんに多くの迷惑をかけてしまった。反省。


あとは書きたいことは山のようにあるが
乾杯前の挨拶と一緒でブログ記事は短いほうがいいらしいので、
ここらでやめておこう(笑)


ほかには昨年秋に発掘された徳万頼成遺跡の土偶をモチーフにしたロゴを作ったり
施設の愛称を公募して「しるし」に決めたり、外観のデザインをいろいろと検討して
最終的には土層断面風にしたり。まあ、言い出したらキリがないのだけど。


最後に建築士Mさんと現場代理人のWさんについて触れておきたい。

このセンターが完成した最大の功労者はおふたりだ。
このいい加減な施主の意向を最大限に汲み取り、
それをこちらが思う以上に仕上げてくださった。

Mさんはまさに「闘う建築士」
昨年度に増山陣屋の建設で初めて建築士という職種の方と仕事をさせてもらったが、
まったくタイプが違った。新しいものはつねにアンテナを張ってチェックし、
進んで取り入れる。県外の博物館のことを話すと「行きましょう」といって
二人で出かけたことも。フットワークが抜群に軽い。しかもつねに施主側にたって
物事を考えてくれる。それがたとえ困難なことでも、可能性がほぼない状態でも
必死に考えてくれた。

建築とはアートではなく、無数の計算式の上に成り立つ数理の塔だと思う。
とにかくMさんは頭と時間をフルに使って、ときには関係者と丁々発止で
やってくれた。施主としてはこれほど頼り甲斐のある建築士さんはいない。

現場代理人のWさんは自分よりずっと年下なのにしっかりもの。
ちょっと取っつきにくそうな雰囲気だが、根はお茶目で真面目。ジバニャン好き。
自分の意見はしっかりと持っているし、現場のことを考えて提案もしてくれた。
ある時、あまりに施工が素晴らしいので感動していると
「そんな事言ってくれるのは野原さんだけですよ、本当に励みになります。
 喜ぶと思うので職人さん達にも言っておきます。」とボソっと言ってくれた。
施主にも手配した職人にも配慮もできる人物なのだ。
しかも小さな施工は自ら「W工務店」と称してやってくれた。
開館日の朝、8時すぎに行くとW工務店がエントランスのタイルを綺麗に磨いていた。
もう竣工検査はとっくに終わっているのに、だ。

3月に入ってほぼ完成が近づいてきて、毎週の定例打ち合わせが
これで終わりと聞いたとき、お二人と会えなくなるので妙に悲しかった。
建物が完成するのは嬉しいはずだが、なんだかひとりでシンミリしてしまった。

とまあ、いろいろあったけど、設計を含めて1年半。
まさか2年前には埋蔵文化財センターを建設するとは夢にも思ってなかったが、
今はこうして皆さんのおかげで素晴らしすぎる施設をオープンすることができ
喜びに浸りながら、センターでこの記事を書いている。

さあ、砺波の遺跡を知りたい人は砺波市埋蔵文化財センターへ!
併設する砺波民具展示室も凄いので合わせてごらんください!!

富山大学附属図書館にて思うこと。

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(エントランスにあるアート作品。なぜか考古遺物がいっぱいだが富山に関係するものはすくない?)



先日、論文を探すために富山大学附属図書館へ。


館に入ってみてビックリ。

だだっ広い空間に人数は片手で数えるほど。
人文関係の雑誌コーナーのある3階には人っ子一人いない。

自分が学生の頃は図書館でもそれなりに人がいたと思うし、
10年くらい前の春休みか夏休みに富山大学附属図書館を利用したときは
学生さんが結構いたけどなあ。

春休みだからたまたま人がいないのか、
今の大学生はそもそも図書館を利用しないのか。
もしかしたらネット中心社会になってしまったから
図書館で論文検索をするアナログ人間は絶対的少数派になったのかもね。

まるで浦島太郎になったような気分がした午後なのでした。

【曲輪の会総会】27年度もやわやわとはじめます。

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今朝は7時からスポーツ少年団結団式があり、
それが終わってから埋文センターに友人家族が遊びに来てそのお相手をして、
11時からは富山県市町村新聞さんの取材を受けた。

お昼を食べたあと、散居村ミュージアム民具館で曲輪の会総会があったので出席。

まずは26年度の報告から。
昨年度は解説が25回、会の行事が13回(うち2回は雨天中止)で
合計1919名の方の参加があった。


22年度(2010)  231名

23年度(2011) 1373名

24年度(2012) 1654名

25年度(2013) 1413名

26年度(2014) 1919名


特に動員数を上げるために意識して取り組んだことはなかったが
順調に参加者数が伸びているので喜ばしいことだ。
無理なく、滞ることなく、活動を続けることが何より大事。

しかし、国指定の翌年から地道に活動を続けているのでありがたい。
最近は山城100名城に選ばれ、目に見えて県外からのお客様が増えているので
曲輪の会の存在がますます重要になってくるだろう。

そして総会では行事計画についても決めた。

【城攻めターゲット(候補も含め)】
◯金山城(可児市)
◯長沼城(長野市)
◯末森城
◯10/25全国山城サミットin米原
◯10/30家康公四百年祭 岡崎城まつり
◯栃尾城、坂戸城
◯小谷城、佐和山城、長浜城、彦根城
◯安土城、観音寺城
◯杣山城

今年はこの中からいくつの城に行けるだろうか。
まあ、やわやわと楽しみながら、みんなでワイワイとやっていきたい。

北海道の大島直行氏が埋文センターに現る!

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昨日の獅子舞の練習始めで飲みすぎたが、なんとか5時に起きて
いつもの朝練に顔を出し、ムービーを撮影してからチューリップ公園へ。
公園は朝市でにぎわう中、チューリップフェア前のボランティア清掃を1時間ほど。
8時すぎにおわって、埋文センターへ直行。

そう、今日は特別なお客様がいらっしゃるのだ。

北海道から大島直行氏と秘書の佐藤亜美さんが来られるのだ。
大島氏といえば昨年の伊達市への研修でお世話になった恩人で、
憧れの考古学者。そのような方が砺波に来てくださるのである。ありがたいことだ。
直前まで実感がなかったが、レンタカーでさっそうと乗り付けたお二人は
偶然にも公園の朝市に寄ってこられたそうで、砺波の第一印象は「きれいな町」だそう。

そこからは一気にいつもの大島縄文ワールドに突入!
入口の散村タペストリーの前でいきなりトップギアに入り、
徳万頼成土偶で完全にオーバードライブ状態に。

そして展示室に入ってくるお客様にまで特別講義を。
偶然来られたお客様は最初は面食らった様子だったが、
大島氏の話がだんだんと熱を帯びてきて、すっかりその世界観の虜に。
「なんておもしろいの。来て良かった~」とホクホク顔で帰っていった。

このとき大島氏はシャーマンじゃないか?と心密かに思ったのであった。


あっという間に2時間半(笑)


せっかくだからとセンターの前で二人で記念撮影を。

徳万頼成土偶のポーズでパチリ(笑)

なんともお茶目な大島氏であるが、
やはり考えは論理的で明快、弁舌はすこぶる滑らかで闊達である。
なによりも話しているときの熱量がすごい。
聞くものを圧倒し、一瞬で魅了してしまう迫力がある。
そして埋文のIMIさんにも同じ目線で話しかけていたのが印象的だった。
年齢や肩書きで人を見ず、分け隔てなく人と接する。
そしてIMIさんもすっかり陥落したのであった(笑)

最後に豪農住宅の典型である入道家住宅をご案内して
またいつか再会できることを祈ってお別れした。
まさかオープンして間もないこの時期に大島氏と佐藤さんが来てくださるとは
夢にも思わなかったが、お二人の訪問で多くの刺激とやる気と宿題をもらった。

雨の中、富山湾岸サイクリング2015に参加、150kmを走破する。

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・・・つもりが、結局はその半分しか走れなかった。

昨日までもろもろの法事を終えて、富山湾岸サイクリング2015にスタッフとして参加。
このイベントは富山湾が「世界でもっとも美しい湾クラブ」に加盟したことを記念して
企画されたもので、富山県が力を入れているものだ。

富山湾岸サイクリング2015

前々からスタートの整理員を申し受けていたが、
1週間ほど前にISSKさんから「走行リーダーに欠員が出たのでお願いしたい」旨の
連絡を受け、ロングライドなんて全く練習してないので不安いっぱいだったが
無謀にも引き受けた。しかも最後尾のリーダーで、開会式のスタートを誘導した後、
自転車に乗って最後尾まで追い付かなくてはいけないという、
150km走行するのに最初から足を使ってしまう嬉しい(?)役回りだ。


2:50に起床して、おにぎりを2つ握って、自転車を車に積んで4:25に家を出た。
集合場所の海王丸パークに着くと、本部テントにスタッフがちらほらと集まっていた。
今回のイベントは急遽決まったものだそうで、スタッフは県内の自転車関係者をかき集めたが
それでも人手が足りないくらいだそう。わがT-Waveからも多くのスタッフが動員された。
この時期のライドイベントは少ないので、みんなチューリップウインドブレーカーを
着ていたのでいつも以上に一体感があって良かった。



しかし、今朝の海王丸パークは高級自転車&機材の見本市のようだった。
LOOKやターマックSL4、BMC SLR01、台湾からはGiantのプロペル軍団も。
コンポはデュラエースが標準です、と言わんばかりで目の毒だった(笑)

といいつつ、自転車仲間の皆さんと談笑しながらの自転車談義は楽しい。
あっという間に7:30になり、開会式がはじまった。


↑真ん中が知事さん。

開会式ではチアリーダーの女の子たちが盛り上げ、知事さんをはじめ
国会議員や県議など多数。女優の内田もも香さんやプロライダーの門田選手も。
台湾のGiant社からもゲストが。


自分はスタート係だったのでVIPの皆さんを真近に拝むことができた。
なかでもライダーたちの視線は内田もも香さんに集まっていたような(笑)

内田もも香

8:00、米原県議の号砲でスタート。
VIPライダー、グルメライド、ロングライドの順。ロングは400名ほどの参加者を
15秒間隔で5名ずつスタートさせたが、とくに混乱することもなかった。

で、すべてのライダーを見送ったあと、同じ走行リーダーのMRDさんと
スタート係で一般参加者のMNWさんと一緒に最後尾を追いかけた。
足を使うかと思ったけど、すぐに橋でキャッチ。

そこから自分は最後尾、MRDさんはその前を走っていたが、
途中でパンクの人がいてMRDさんがケアに。自分は最後尾の人と二人で進む。
その人は調子がわるいらしく、顔色も思わしくなく、コース取りも覚束ない。
スピードは平地で15km/hに届かないくらいで、坂では7-8km/hをうろうろ。
するとパンクの参加者とMRDさんが「お先に~!」と、あっとう間に見えなくなってしまった。

回収車が後ろをヒタヒタと忍び寄るので、
とにかく焦らせないように心がけていたが、あまりに苦しそうだったので
「休んどく??」と岩瀬のカナル会館にチェックイン。

8:20くらいにスタートして、すでに10:00近くになっていた。(ここまで20km)
「補給食を持ってます?」と聞くと無いというので近くのサークルKにピットイン。
ゼリー食を食べて顔色がスッと変わった。

すると「じつはハンガーノック状態だったと思います」と衝撃の告白。

どひゃ~!である。道理で調子がわるいわけだ。
心配になって「機材は大丈夫?」と聞くと「後輪が重く感じる」というので
見るとブレーキがリアホイールに当たってるじゃないか!!
ブレーキをちょいと修正して走り出してみると、25km/hに!!
さっきより10キロも速いじゃないか。

聞くとグランフォンド富山のロングを制覇したことのある実力者。
練習と機材の整備と補給が少し足りなかっただけなのだ。


気を取り直してグングン進むとサイクリングロードに出た。
富山湾に面した自転車専用道なのだが、松並木のトンネルを抜けるおもしろい道だ。
だが、途中の車止めやS字カーブ、狭い道幅など気は抜けない。

息を吹き返した彼は嬉々としてペダルを踏む。
「ようし、この調子で滑川まで行くぞ~~~!!」と二人で気合を入れて
走っていたら、回収車が目の前に止まり、「はい、そこまで!」と回収の憂き目に。。。
「まあ、仕方ないね」と笑顔で回収車に乗り込み、「どこから来たの?」と聞くと
「砺波です」とまたまた衝撃のコメントが。

さて、滑川に行くとエイドはすでに撤収の気配。
ひとり、MRDさんがいたので回収車に乗りますか?と聞こうと思ったら
ピューと走って行ってしまった。仕方ないので回収車で黒部エイドまで運んでもらった。

黒部エイドは食べ物が充実していた。
バイ飯にフルーツに黒部名水ポークの角煮。
とくに角煮は温かくて味付けが抜群で、エイドの補給食のレベルをはるかに超えていた。
(食べながらもグランフォンドのエイドのことが頭をよぎり、
だんだんプレッシャーを感じてきたことは内緒だw)

ここで11:30でロングの足切りとなる。
ほとんどの人は朝日に向けて出発したが、10名ほどが残ったので
自分たち走行リーダー5名ほどはその方々のお供をすることにし、
12:10に魚津に向けて足切り組出発。

予報では15時ころから雨だったが、このときすでに本降りに。
まあ大丈夫だろうとタカをくくり、ウインドブレーカーのままスタートしたら
魚津に着く頃にはずぶ濡れに。かなりトホホな状態だった。

仕方なく魚津でレインウェアに着替えた(持ってきて良かった~マジで)。


魚津の道の駅ではまたまたグルメが充実していて、
魚津ハトシという魚のすり身を食パンで挟んで揚げたものと、
海鮮ドドン焼きというB級グルメが登場。

さっき黒部でお腹いっぱい食べたばかりなのに
こちらも気前よく大ぶりのメニューで、しかもほんのり温かいので
お腹も心も満腹状態に。

しかし、外の雨は一向に止む気配はない。
気力を振り絞って岩瀬へ向けてスタートしたが、雨の中のライドは危ない。
ブレーキの制動性はわるくなるし、視界もよくない。気温が低いのと
雨に濡れるのでライダーの体温をどんどん奪われる。

途中、女性の参加者がステーンと転ぶ場面も。
幸い身体と機材には影響はなかったが。


岩瀬のエイドに到着。
ここは競輪場なのでバンクを1周走らせてもらったが、
雨のためか、皆さんバンクなのにテンションがあまり上がらず。

このエイドでどら焼きを補給。エイド担当の女性二人がとても元気だった。
じっと立っていると風が冷たくて、皆さんガクガクと震えていた。
あまりに寒いのでそこそこにリスタート。


しかしこのルートは走っていておもしろかった。
滑川では街道沿いの旧町家が結構残っていて、かの有名な市民団体が運営する登録文化財の
前を通ることができたし、浜黒崎の松並木は素晴らしく、車では味わえない感動があった。
大村城落城の精霊塚も立ち寄りたかったなあ。


さて、岩瀬を出るとロングのフルコース組が追いついてきた。
その中でもトップの組はものすごい速度でドヒューーーンと抜かしていった。
あとで聞いたら、とにかく足切り組を全員抜くつもりで走っていたのだとか。


そうこうして、ようやくゴールにたどり着けた。
本当なら150kmの道のりだが、回収&足切りで結局76km。
ちょうど半分だ。たしかに雨で寒かったが、あまり疲れがない。
いつもの朝練は心拍数がMaxの90%以上の値を示すが、
今日はとくに折り返してからは50%にも満たないような状態だった。
なので、結果的には月曜に影響のない、良いサイクリングだったといえる(笑)

たしかに思いっきり足を回したくもなったけど、
てか、フルコース組が抜かしたとき抜き返してやろうかと一瞬思わなくもなかったが
そこは走行リーダーをやらせてもらったのでもちろん控えておいた。
とにかくこのような大きなイベントで、しかも初開催だったので
運営の皆さんは想像を絶するご苦労があったことと思う。
素直に労いの言葉を送りたい。

お疲れ様でした、そしてありがとうございました。


Garminログ https://connect.garmin.com/modern/activity/750569896

《今日の課題》
・雨降り対策は大事。レインウェアは必須。できればシューズカバーも携帯したい。この2点があれば大概の雨はしのげそう。

・ロングライドは補給が命。会場到着からスタートまで長いのでこまめに補給しよう。補給には薄皮パンが最適。



<携行品> ヘルメット(Evade)、サングラス、フロントライト(VOLT700)、リアライト、Edge800、スマホ&スマホ入れ、小銭入れ、レインウェア、キャップ、防寒グローブ、amino vital×1(残1)、amino vitalパーフェクトエネルギー×1(残1)、1本満足バー×1(残1)、MeitanCCC×1(残1)、メダリスト クエン酸チャージ×3(残2)、amino vitalプロテイン×2(残2)、ハンカチ


<本日の仕様> Kharma2012
いつもの朝練仕様ではなく、150kmを見越してちょいブルベっぽく仕上げてみた。携帯バッグはトピークの大容量のものを。まだ一度も使ったことがなかったのでレインウェア&補給食入れに。結果、大当たりだった。タイヤだが、路面が悪いと聞いていたのでコンチネンタルにしたかったが交換するのが面倒だったのと、湾岸は風が強いと聞いていたのでディープリムは避け、リムの低いC35に。ヴィットリアのタイヤが心配だったが、前日に空気を11気圧にして今朝計ると8気圧くらいだったのでこのままに。ペダルは先日買ったばかりのMAVICゼリウムSLRを。iClicと同じ機構だが、ホールド感が抜群。なんでもっと早く替えなかったのだろうと後悔するレベル。ボトルはコルナゴの500mlがお気に入りだが、こないだ安曇野の大石さんの店で本人にサインしてもらったskyのボトル750mlを初投入。リアライトは絶対に大事だと思ったので一番明るいやつを。ただ、バッグへの取り付け方をもう少し考えないと。今日は雨のなか走っていたので、帰宅後すぐに解体してとりあえず水気を拭き取り、汚れも除去。チェーンの汚れも布で拭き取った。

佐久間勝之ゆかりの信州長沼城から増山城を攻めに来た。

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長野市立長沼公民館のご一行約30名が増山城を訪れた。
13時に増山陣屋に到着し、増山城と埋文センター、民具展示室をぐるっと
まわって約3時間。みっちりと砺波の歴史文化に触れていただいた。

長沼とは去年からやり取りをしている。
なぜ長沼かというと、佐々成政が天正12~13年(1584~1585)に増山城に配した
部将に養子の佐々源六(勝之)、のちの佐久間勝之がいる。
「寛永諸家系図伝」によると、源六を「升(増)山の城」に置いたと伝えている。

源六、つまり佐久間勝之が最後の居城としたのが信州の「長沼城」であり、
最初の居城がおそらく増山城なのである。そういう縁で今回の増山城行が企画された。


 

 皆さんはとってもお元気で、午前中に富山城をまわってきたと思えないほど熱心。

健脚コース、通常コース、かんたんコースの3つを用意していたけど
ほとんどの方が健脚コースを選択。3時くらいまでを要して増山城をじっくりとまわった。
途中、HMDさんの二輪草の話や甕割柴田の話もあり、和気あいあいとした雰囲気。

下山して埋文センターと民具展示室へ。
ここでも熱心に見てまわって、元気よく宿の氷見へ向かっていかれた。

このようなバスツアー形式で城と文化財施設をめぐるのもわるくない、
と手ごたえを感じた今回の受け入れだった。 

富山県市町村新聞さん、良い記事をありがとう!!

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(↑YMMTさんから送っていただいた写真です。感謝!) 

先日、なにげなく受けた取材が記事になった。
「熱心な記者さんだなー」とは思ったが、こんなに細かく、そして大きく扱ってくださるとは。

大手新聞さんは埋文センターが開館した事実のみを伝えているが、
この記事は自分たちの思いを丁寧に書いてくださっているので、ありがたい。
富山県市町村新聞さん、どうもありがとうございました。

そして記事の存在を教えてくださったYMMTさんにも感謝!!

リニューアルオープンした南砺市埋文センターに偵察に行ってきた!!

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どこよりも早い南砺市埋蔵文化財センターのレポートかも知れない。

先日の西井龍儀氏の叙勲祝賀会で、南砺市埋蔵文化財センターが
5月1日にオープンしたことを知ったので、さっそく偵察に行ってきた。

南砺市埋蔵文化財センターは旧の井波歴史民俗資料館を再利用したもので、
耐震化工事と内外装のリニューアル工事を25・26年度の2ヵ年かけて行ったそう。
わが社の倍以上の予算をかけた改修工事だったので気になっていたのだが、
全然情報が入ってこない。しかもリニューアルオープンしたのに開館記念式典も
行わなかったそうだ。いつも情報発信が盛んな南砺市にしてはどうしたことか!?
しかも埋文センターがリニューアルした記事さえ市のホームページには存在せず。

まさに、ひっそりとオープンした、という感じだ。



余計に気になったので、休館日明けの今日訪れてみた。
ちょうど駐車場で、南砺市民大学のUNさんと会ったので一緒にチェックイン。

偵察部隊は自分といつものIMIさんと2名。
センターに入ると公園清掃のおばちゃんたちがお茶を飲んで休んでいた。
ガヤガヤしていて良い雰囲気だ。



 目に入ったのが、普通紙でプリントしたセンターの看板!!




2階展示室。

展示内容は充実している。
これまで資料館時代に展示していたものと大変わりしないし、
展示パネルもほとんどが使い回しなのだが、南砺全域からの出土遺物を目いっぱい
詰め込んでいるので、これはこれで見応えは抜群だ。



復元の打製石斧が宙に浮いている!?




展示にはちょこちょこと模型が入り込んでいる。
これは海〇堂のフィギュアだと思われ・・・。なんと斬新な。。。

 


3階の展示室。
梅原胡麻堂遺跡や在房遺跡、善徳寺前遺跡などの錚々たる遺跡の遺物が並ぶ。

センターには新たにエレベーターが取り付けられ、足が不自由な方でも
3階まで楽々行くことができる。


  

このセンターの一番の見どころはこの景色かも知れない。
手前には高瀬遺跡、バックには南砺の山々が広がる。

南砺市埋蔵文化財センターは高瀬遺跡に併設していて、すぐそばには小川が流れ、
来月には花しょうぶが咲き乱れる。史跡内ではマレットゴルフを楽しむことができる。

開館にあたってはいろいろとあったそうだが、YMMR学芸員は毎日笑顔で勤務している
と所長さんは笑っておられた。展示は斬新なところはあるが、南砺の至宝というべき遺物たち
が所狭しと並べられている。一般向けというより専門家が泣いて喜ぶ展示かも知れない。

が、普及啓発にも力を入れるそうだ。
県埋文センターが行う体験モノはほとんど揃えているそうだし、ガラス玉の製作にも
チャレンジしているそうだ。しかもいろんな構想があって、1階のエントランスをカフェに
したいとのことだった。

しかも6月15日(月)にはリニューアルオープンを記念して
久保智康氏の講演会が開かれるそうである。

まさにYMMRワールド全開の埋文センター。
お隣どうし、これからは連携していきましょうね。とこちらのパンフをどっさり置いてきた。

おいしいコーヒーをいただきながら、 5月の新緑で気持ちの良い史跡内を歩いて
センターをあとにした。以上、偵察レポートでした!!

GW後の土曜日をまったり過ごす。

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4:15に起きて福野朝練に行こうと思ったが
空模様が怪しいのでDNSにして車庫で固定ローラー練習をした。


朝食後、出かける用事があったが、息子の機嫌が良くないというか
少し不安定な感じだったので急遽予定を変更して、一緒に遊んであげることに。
厚紙に魚の絵を描いて磁石をつけて、昔バス釣りで使っていた釣竿を引っ張り出してきて、
ルアーのかわりに磁石をつけて、魚釣り遊びをして過ごした。
今のところ、リビング全部を使ってのトミカコース作りとこの魚釣り遊びと
吹き抜けを使ったロープーウェイ遊びがうちの鉄板だ。


午前いっぱい遊んだら元気になってきたのでお昼を食べてから
出かけて調査研究のための図面作成を。

夕方頃にだいたい完成したので、帰ろうと思ったらUENさんから連絡があったので
井波のウヘノ石油に立ち寄り。明日のバンクで使うボードマンを借りたついでに
店先でバドミントンを。UENさんはスポーツ万能なので何でも上手。
軽~く相手をしていただいた。汗びっしょり。



途中、重倉さんの競輪レースの生中継を観戦。
大宮競輪の11R、S級の準決勝だ。
昨日のレースでは1位だったそうなので、調子は良さそうだったが
残念ながら負けてしまった。

しかし、いつも一緒に朝練をしている重倉さんは
競輪のトップカテゴリのS級レースで勝利するほどの凄い選手。
改めてそんな凄い選手と練習できる環境の良さを再認識した。


家についてから少し時間があったので自転車にまたがり出撃。
途中ですれ違った車から「野原く~ん・・・」という声が聞こえたが誰だろう?
平地のTTと短めのヒルクライムをそれぞれ1本やって帰宅。
両方ともタイムは大したことなかった。もっと追い込まないと。


で、今晩は夜高の製作に行って土曜を締めくくろうと思う。

富山サイクルスポーツクラブで吐きそうになる。

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朝、早起きして子供の朝食にチーズシュガートーストを作り、
あとは焼くだけの状態にして家を出発。

向かうは岩瀬の富山競輪場、いわゆるドリームスタジアムとやま。
4/26に続いて今回が2回目だ。→前回の動画:http://youtu.be/MBndTInAxok

砺波からだとだいたい1時間で着ける。
8時すぎに到着すると、ほとんど誰もいない。
と思ったら先日お世話になった熊無俊一選手が練習終わりでベンチで
座っておられたので挨拶に行こうとしたら、トイレに駆け込みリバース。
プロ選手ってそこまで追い込むものなのか・・・(汗

ちょこっとアップで走って、そうこうしていたら人も集まってきて
9時に開会式。今回はUENさんも重倉選手もおらず、ひとりなので完全アウェイ状態。
でもSNさんがいるので何かと心強い。

まずは周回練習でウォーミングアップ。
トラックを30周走るのだが、1周ごとに「29!」「28!」とか全員で掛け声を
かけて、あと何周あるのか確認する。集団で走り、先頭は2周おきに交代。
ほどほどに温まって、というより最後は結構な追い込み具体だったけど、
いきなりケイリンがはじまる。


自分は今回保険に加入したばかりなので不参加。
全部で8名が出走し、1組4名×2レース。
1組目トップはローマンのIMRさん、
2組目トップはFRMTさん。SNさんは惜しくも2位。

サクッとケイリンが終わり、3人ずつ200ハロンダッシュの練習。
SNさんが声を掛けてくださり、なんと古本さんと3人でやることに。
このクラブの中でもトップクラスの2人じゃないか。緊張するな~。
最初はSNさん、FRMTさん、自分の並び。やってみるとSN・FRMTコンビが
みるみる小さくなっていく。とにかく二人とも速い。


次にFRMTさんが先頭、その次に自分が先頭で。
途中、FRMTさんから「下ハンの持ち方が悪い」と指摘され、
力を入れやすくバイクコントロールもしやすい持ち方を教えてもらった。
で、自分が先頭で走ってみたら、前の2本よりバイクに掛かる感じが格段に良かった。
ま、遅いけど(笑)

ここではじめて吐きそうになる。
自転車をやりはじめてこの感覚は初めてだ。
やはりいつもの朝練は有酸素運動、今日のは無酸素運動だからだろう。

今日は富山サイクルスポーツクラブの緑ジャージの方が多く、
真っ赤なTTRジャージはいろんな意味で浮いていたかも(笑)
あと、ローマンの有名ヒルクライマー・TKDさんと知り合いになれたことは収穫。
TKDさんはSTRAVAの山岳セグメントでKOMコレクターとして名が轟くお方だ。
しかし同じローマンのIMRさんとともにものすごく速かった。


ちょっと休憩して、発射台を使ったスタート練習をランダムで2人ずつで。


これはなかなか難しかった。トップスピードに乗るまで思うようにバイクを
コントロールできない。一通り終わったあと、熊無選手から「腕の引きがロードバイク
乗りのようになっている。ハンドルを真っ直ぐ引かないと力が伝わらない」と指導され
IMRさんと自分の二人だけ、熊無選手にバイクを固定してもらってゼロスタート練習を。
なんとも贅沢な居残り練習だった。

9時からはじまり12時すぎまできっちりと練習させてもらい、
最後に皆さんにご挨拶して競輪場をあとにした。
いや~、バンク練習は怖いけど瞬発力や回転力を身につければ
どんどん速くなりそうでおもしろそう。バンク練習と街道練習を両方やれば
さらにステップアップできるかも!保険にも加入したし、また今度行こうかな~!

今晩7時はBS11の「とことん歴史紀行」で義仲をチェック!

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今晩7時はBS11の「とことん歴史紀行」をご覧ください!!

【冷や汗必至!?】 県公文書館でデジタルアーカイブについて語る。

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いろんな仕事が舞い込むものである。
一介の学芸員に過ぎない自分に、県公文書館から「デジタルアーカイブのことについて
話してほしい」とのオーダーが入ったので、ひと語りしてきた。(90分1本勝負)

砺波市ではデジタルミュージアム「砺波正倉」を開設し、運用している。
が、まだオープンして2年しか経っていない。ヨチヨチ歩きのような状態だ。

デジタルミュージアム砺波正倉

うちに話が来るということは、他の自治体はもっとやっていないということなのだろう。
実際、今日の講演中にアンケートを取ってみたら、デジタルアーカイブを自前で構築して
いると手が挙がったのは、立山町さんと高岡市立博物館さんだけだった。

立山町 ←このページでいいのかな?
高岡市立博物館 ←立派なシステムだ!

本日の聴講者は自治体の公文書(アーカイブ)に関係する職員、たとえば総務課職員とか
博物館、資料館、図書館関係の人が多かった。
結局、デジタルアーカイブは担当者や組織の意識の問題であり、
「そんなことは仕事じゃないね」と思ったら、今日ほど退屈な講演はなかっただろう。
というか、そういう無関心と戦うために呼ばれたのかも知れない。

 

肝心の内容は、砺波正倉の構築の動機からはじまって、フレームワークの作成の話や
すべての費用やいろんな裏話(市長とのやり合い)までほぼ全部ぶっちゃけてしまった(笑)
出だしの砺波の紹介とかは皆さん眠そうだったけど、尻上がりに関心をもって
少しは聞いてくれたように思う。公文書館の館長さんもそう言ってたし。

最後の質問タイムにT山町のMNBさんから
「砺波正倉は君だからできるんだ!
君がいなくなっても運用できるよう後継を育成すべきだ!」
と至極もっともなご意見をいただいた。
わかっておりますとも。
砺波正倉は自分がいなくなっても運用できることを前提に作ってるんですって。

しかし、いろんな仕事は受けてみるもんだね。
また新しい扉が開いた音がしたもん。
まさか自分が総務省のアーカイブのガイドラインや提言を説明する立場に
なるとは思わなかったけど、少なくとも勉強になったし多くの刺激ももらえました。
いっぱい緊張もしたけれど。

公文書館のみなさん、丁寧に対応していただき、ありがとうございました。
あまり期待にお応えできなかったかも知れませんが、ベストは尽くしたつもりです。


 

ハワイ旅行記 〜1日目、常夏の島に上陸〜

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2015.5.16
家族との時間を取り戻すため、ハワイにバカンスに出掛けることにした。


早めに名古屋入りして子どもたちのリクエストに応えてアンパンマンこどもミュージアムへ。ここで5時間くらい遊んで、常滑の駐車場で車を置いて中部国際空港まで送迎。

18:00に空港入りしてみんなと合流。
フードコートで軽く食事をして、子どもたちをトイレに入れて踏ん張らせて時間を調整。保安検査をくぐり、無事に搭乗ゲートに到着。

22:05名古屋発 JL794 ホノルル行】

現地時間10:35に到着。入国審査の長い行列中に子どもがグズリ出して大騒ぎ。巨体の係官がきて大声で「Come!Come!」といわれビビったが、うちの家族を優先して通してくれた。

安心したのも束の間、TNBさんのお兄さんのスーツケースがない。ロストバゲッジか?と一瞬不安がよぎるが空港の日本人職員が即対応。「ここでお待ちを」と言われ待っていると日系と思われる別の女性職員から「Get out here!」と強く言われて一同軽く凹む。

なんとか荷物は見つかって旅行会社のバスに揺られてホテルに向かう。このあたりから完全にリゾートモードに。ワイキキビーチ近くにあるロイヤルハワイアンセンターで説明を受け、ホテル行きのシャトルバスに乗り込むと、なぜかリムジン仕様で笑ってしまった。テレビでよく見るアレだ。


ホテルはOutrigger Waikiki Resort Hotel。ワイキキのメイン通りに面した大きなホテルだ。1階(LL)には有名なレストランがあり、外国人客で常に賑わっていた。ホテルの裏にはワイキキビーチがあり、エレベーターを降りると徒歩30秒で砂浜に行ける。宿泊客は水着のまま部屋とビーチを行き来していた。外国人はサマになるが日本人は躊躇してしまう仕様だが、半日もいれば慣れてしまった。

部屋に入ると移動の疲れがドッと出て、子どもたちが寝てしまったので、夕飯まで休むことに。自分は単独行動でビーチに行ったり、タクシーを拾ってダウンタウン地区に行ったり。2012年にロンドンを訪れたり、リッセ使節団と触れ合う経験があったので「英語の壁」はすぐに無くなった。要は堂々と、ゆっくり、自信をもって話すこと。現地の人の英語は片言が多かった。

夕飯時間までにはホテルに戻り、みんなでアロハシャツを買いに行き、ついでにハワイアンセンターのフードコートで夕食を。ピザやチャーハンやハンバーガーなど。店員さんに「子ども向けのメニューはありますか?」と英語で聞くと「日本語でいいよ」と流暢に答えたので拍子抜けした。


食事のあと、ストリートをブラブラして、人の流れが海岸に向けっていたので流れに身を任せると、サンセットの時間だった。水際をチャパチャパと走り、砂浜でまったりして部屋に戻った。時差のせいもあって眠くて仕方ないので力尽きるようにして就寝。

ハワイでの1日目が終わった。

ハワイ旅行記 〜2日目、海水浴と涙のセレモニー〜

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2015.5.17

バカンス2日目。

朝、ベランダでビーチを見ながらの朝ごはん。さながらパーティー気分だ。でも朝から子どもがグズグズで気が滅入ってしまった。気分転換にと11時にビーチへ。これが大当たりで砂浜ではしゃぎまくり。ちょうどこの年齢というのは万国共通で母性本能をくすぐるのだろうか、外国人がよく微笑みを注いでくれた。


昼、子どもらがシャワーの間に買い出し。近くのABC storeに初入店したが、この店はホノルルの至るところに。コンビニ+土産物屋だ。かなり割高の料金設定なのだが、ホテルの売店より安いのでお得な気分でホテルへ。この買い出しのおかげでなんとなくホテルの周囲がわかる。よくみたら、ブランドショップは溢れてるし、人も多いし、むちゃくちゃ都会だ。


おにぎりやパンを食べて、アロハシャツに着替えて、お隣のモアナサーフライダーホテルのセレモニーへ。予想外に感動的でちょっと泣けてしまった。


豪華な食事をいただいて、部屋に戻ってまったり。ヨメと息子がショッピングに出掛けたので、娘と二人で砂浜でお砂場遊び。日が暮れてあたりがどっぷりと暗くなったが、遊びに夢中。東洋人の小さな子は珍しいからか、外国人に写真を撮られたり。しかし、夜のワイキキビーチ周辺はため息が出るほど美しい。


ハワイに来て気づいたこと。
日本人は街中を歩くとどこにでもいるが、とくに密集しているスポットがある。それはエレベーターの乗降口と喫煙所だ。とくに喫煙所は、所定の場所を守って吸う日本人の真面目さと、先進国なのに喫煙率が高いことを同時に表しているように思う。

とくに出掛けることもなく、2日目は終了。

ハワイ旅行記 〜3日目、マカプウ登山とガジュマルの木〜

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2015.5.18

バカンス3日目。

今日はマカプウハイキングの日。滞在中、もっともアウトドアな日だ。早起きして1人で5kmほどウォーキング。毎日、炭水化物と肉と甘いもののオンパレードだから少しは運動しておかないと。


10:15、ハワイアンセンターに集合してバスでマカプウへ。ダイヤモンドヘッドを一回りしてオアフ島の東に向かった。やはりワイキキ周辺だけが都会で、郊外に行くと高級そうな住宅街が。山の上にも住宅がびっしり。砺波でいうなら夢の平や閑乗寺に住宅街があるようなもんだ。

11時にマカプウの麓に到着。ひとり水1本だけ渡され、「12:30に戻ってくる」と言い残して去っていった。もちろん添乗員もいない。降ろされた場所はとても観光地と思えない荒野で、店もなければトイレもない。路上駐車の車だけだ。

案内看板もないので人の流れに乗って、山頂に向かう。一体どのくらい歩けばいいかもわからずに。一応予備の水分といつハンガーノックになってもいいように補給食だけは常備しているので、いざって時はなんとかなる。とりあえずGoogle mapで確認すると結構な登山のようだ。

しばらく登ってまわりを見ると溶岩がそこらじゅうにあり、緑や高木は少ない。代わりにサボテンが多い。おまけに風が強くて帽子が飛ばされそうだった。半分ほど登ったところで休憩し、女性陣は登頂を諦め、男性陣だけで登ることに。勾配が結構キツいので、少し息が上がり、今朝ウォーキングしたことを後悔する。結局、50分かけて登り山頂にたどり着いた。


目の前には絶景が広がっていた。岸壁の向こうに青い海、そして幾つかの島が見えた。これだけ掛けて歩いてきた甲斐がある。が、同じツアーの日本人は山頂でゆっくりするでもなく、そそくさと降りてしまった。自分たちは景色を堪能したり、写真を撮ったり。

山頂周辺はサボテンが多い。道の脇のサボテンは心無い人がつけた落書きで枯れたものも。息子がなぜサボテンが生えているのか、なぜ枯れたものとそうでないものがあるのか、なぜ落書きがあるのか、しきりに聞いてきた。

下山に40分かかり、きっかりバス時間の12:30にライドオン。が、自分たちが一番遅かった。ま、子どももいるから勘弁してもらおう。時間は間に合ったことだし。帰りのバスは女性の運転手だったが恐ろしくスピードが出て怖かった。


ハワイアンセンターに着き、旅行代理店の拠点のキッズルームで子どもを遊ばせ、水分補給してリフレッシュする間にカウンターでパンケーキの美味しい店を紹介してもらった。そこは歩いて300mのところにある、ファミレスのような店だった。入店すると日本人はいない。勝手がわからずモタモタしているとトムクルーズばりのハワイアン青年ウェイターのお兄さんが紳士的な対応で席まで誘導してくれたイチゴとブルーベリーのパンケーキやステーキのセットを食べたが、お兄さんが一番の思い出だ。料理が運ばれてきて家族で写真を撮ろうとすると「撮ろうか?」といって撮ってくれ、食べていると「どうだい?おいしいかい?」と聞いてくる。食べ終わると「まだ注文するかい?ランチを楽しめたかい?」 日本だとウザったい接客もハワイなら許されるし、観光客としては嬉しい。

お腹も満たされたので、一旦部屋に戻り休憩を。疲れがとれたところで再び外出し、ハワイ名物のトロリーバスで市内観光をすることに。旅行会社のバスは5路線くらいあるが、そのなかでダウンタウン地区に行く便に乗車。トロリーバスは旅行会社のものならフリーだし、路線もたくさんあるし、車内で観光のアナウンスもあるので便利だ。が、とにかく排気ガスが臭くて参った。こればっかりはガイド本ではわからない。


ハワイ州庁舎前で途中下車してプラプラ。周辺はワイキキとは違い、高層建築も少なく、ブランドショップもなく、日本人もいない。落ち着いた感じだ。アメリカ唯一の宮殿であるイオラニ宮殿や、立派なガジュマルの木が茂っていてこれらを見るだけで価値がある。なにより有名なのはカメハメハ大王の像だ。このブラリ散歩が今回の滞在で一番観光らしかったかも。

ホテルに戻り、またビーチで遊んだ。キャッキャ言いながら波打ち際で遊んでいると、また外国人のマダムたちが「可愛いわねぇ♡」という感じで近づいてきた。最後に顔まで掛かる大きな波でずぶ濡れになったのでタイムアウト


夕飯を食べにホテル周辺を歩くと、King's villege という雰囲気ある一角に来た。土産物屋が多いし、路地で果物や野菜や惣菜を売っていて活気があるし、なによりも細々した感じがカリブの海賊のリアル版のようで楽しくなる。よくみると日本人向けのスポットのようだ。あやうく餃子の王将なる店に入りそうになったがバッタもんだったので、路地で買い出しをして部屋で食べることに。ここで中華料理とサラダとフルーツとハンバーガーを調達して部屋のベランダでパーティーをした。料理は美味しかったが、息子の下歯が抜けるアクシデントも。これもまた旅の思い出だ。
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