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ハワイ旅行記 〜4日目、ロードバイクって最高!〜

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2015.5.19

バカンス4日目はレンタルしたスペシャライズドAllezでRide in Honolulu へGO!

じつはハワイに来る前からどうしても実現したいことが。それはロードバイクでホノルルを駆け抜けることだ。そのためにはまず機材を用意しないといけないが、空輸ではコストが掛かる。調べるとレンタルできる店があるのでそこで借りることに。


到着して早々、タクシーでThe Bike shopというそのまんまな名前の店に向かった(15ドルほど)。ワイキキの中心部から5kmほど離れたところにある。あとで気付いたがトロリーバスなら無料で行ける。

小さなバイクショップだが、品揃えは豊富だ。とくにスペシャライズド製品に強いようで、S-Works乗りの自分としては嬉しい限りだ。だが、店員さんに日本語は通じない。全部英語での交渉となる。こちらの希望を話すと、まっさきにターマックSL4、VENGE、ルーベSL4を紹介された。聞くとレンタル料が1日80ドルだというので、Too expensive!と断り(というか観光地でのライドにそこまでの機材は求めないからね)、もう一段下げるようオーダーするとAllezを提示してきた。コンポはティアグラ、アルミフレーム、サイズは56がある。しかも黄緑と青のカラーリングがマイバイクと同じじゃないか!申し分ない。これに決めた!というと、日曜に開催のホノルルトライアスロンのために機材はすべて出払っているとのこと。とりあえず予約して、1日のレンタル料40ドルとデポジット料650ドルをカードで決済(これはバイクを返却後、取り消される)。その後、ちょうど放送中だったツアー・オブ・カリフォルニアを店員さんらと一緒に観戦。自分がS-WORKS乗りだと知られたからか、ティンコフとトレックがプロトンの先頭を引く場面があると「どっちのチームもEVADEを被ってるぞ!」とS-WORKSジョークを言ってくるので一緒に笑った。結果、スプリントでカヴェンディッシュが勝った。店員さんらとカヴのパワーウエイトレシオの驚異的な数値の話や体が小さいのにどうしてスプリントが強いのかなど話をして、一旦退散した。

たしかに土日にかけて市内ではロードバイク乗り、しかもTTバイクを多く見かけた。なかでも日本人が多かった。


さて、トライアスロンが終わってまたお店を訪れ、予約の件を伝えるとすぐにバイクを準備してくれた。そしてサドルにまたがるよう言われ、ハンドルやサドルの高さ調整を。付属品としてチューブ、パッチ、タイヤレバー、ポンプを一揃い。「ペダルとシューズは?」と聞かれ、その場で後悔。まさかここまでの機材が用意できるとは思わず、ヘルメット、ジャージ、グローブ、ボトルしか持ってこなかったのだ。どうせならGarmin edge800も持ってくれば良かった。そして貸し出しのバイクのどこにスクラッチ(すり傷)があるか一緒に確認を。

最後にU字ロックかケーブルロックのどちらがいいか聞かれ、最近レンタルした人が盗まれたから道路に面した場所での駐輪は気をつけるよう言われた。夜はホテルの部屋に置いておくよ、というと「それは最高だ!」と返してくれた。


話は戻ってライドの朝。日の出の5:51の少し前に部屋をそ~っと出て、ライドに出発。なんのせ、家族が動きだす8:30までしかお許しをもらえなかったから(笑)

まずは、ソロソロっと道路を走る。ハワイは右側通行なので最初はやっぱり慣れない。何kmか走ったあと、ちょっと踏んでみる。バイクは問題ない。天気も良く、風は少しだけ。車も少ない。よし、と思ってペダルに力を入れようとしたらロード乗りがサッとパスして行った。

慌てて後を付けると、ちょっとゴツめの現地の人でORBEA ORCAに乗っていた。バイクといい、姿カタチといい、まさにT-WAVEのミノワさんソックリで、妙な親近感を覚えて「Can I run behind you?」というと親指を立てた。ちょうどダイヤモンドヘッドをグルッとまわるゆるい登り坂だったので、ハワイのミノワさんに牽いてもらうことに。ガシガシと一定ペースで坂を登る。しかもハワイアンライダーと。こんな滞在ってあるだろうか。ロードバイクに乗れば言語を越えた交流が可能なのだ。走りながらだいたいお互いの走行力がわかり合える。峠まで登ったところでSee you!といって別れた。ああ、なんて素晴らしい経験だろう!

市街地を走っていると今度はリカンベントのバイク(寝そべって乗るタイプの自転車)が凄い勢いで追い抜いて行った。軽く40km/hは超えている。上野道場に通いながら、離されてしまうのは情けないと意地でペダルを踏んで追いつき、しばし後ろを走る。とその時、右側の路駐の車がいきなり出てきた。とっさに避けて追突にならなかった。フゥ~あぶねぇ。と汗をぬぐっている間にリカンベントさんはピューとはるか先にいってしまった。

追いつくことは諦め、山に登ることに。どうしてもワイキキの市街地を俯瞰したかったのだ。Garminもないので、自分の勘で行くしかない。山の麓の住宅街を抜けるしかなさそうだ。さっそく住宅街に入ると驚き!坂が15-20%近くあるのだ。それだけ急斜面に密集して家を建てているのだろう。砺波付近でいえば夕霧峠手前のコンクリの橋の斜度が住宅街に延々とある感じなのだ。ここでも意地で足を着かずに進み、山道に出ると斜度は5-10%に一気に緩やかになり、快適に登ることができた。景色は良いし、風は気持ちいいし、心拍数は80%くらい。


最後の500mくらいは時速5kmを下回ってしまうほどの激坂だったが、なんとか頂上のタンタレス展望所にたどり着けた!しかし、なんという景色の良さ!そしてなんとも言えない達成感!ダイヤモンドヘッドとワイキキが一望でき、ハワイで一番やりたかったことが実現できた気がした。下りでは、日本人のロード乗り3人とすれ違った。Stravaの成績は散々だったけど、これもまた良い思い出だ。

とりあえず本日のログ↓

ハワイの自転車事情について少しだけ触れておこう。

【交通ルール】
まず、右側通行であること。そして自転車はbicycle laneとbicycle routeがある。laneは白黒の看板で表示されていて、日本の自転車レーンのように元々が自動車道だったところの歩道側にアスファルト上に表記されるもの。routeは自転車専用道で車道とは縁石で分断されている。幅は1.5mくらいで自転車の片側1車線となっている。つまりrouteでは反対方向から自転車が走ってくる。このlaneとrouteを走っていれば問題ないが、それらがない道を自転車で走ると容赦なくクラクションを鳴らされた。また、ライド中、laneを逆走してきたのは日本人だった。

それとホノルルではOne wayが至るところにある。つまり一方通行だ。日本で一方通行といえば狭い道を思い浮かべるが、ここでは4車線、5車線の一方通行がある。Speed limit 25(mile)の表記も。


【駐輪】
駐輪の設備がオシャレだ。このような自転車の形をしたスタンドが大通りのあちこちにあり、自転車を立て掛けて停める。


【路面状況】
路面状況はあまり良くない。大通りは日本と変わりないが、日本でいう市道クラスの道では路面が荒れていた。とくに下りは怖かった。


【排気ガス】
郊外はまったく問題ないが、市街地はひどい。アメリカなので排気量が大きい車が多いのだろうが、とにかく息苦しい。鼻の穴が真っ黒になる感じだ。

【レンタル】
自分はロードバイクを借りたかったのでワイキキの市街地から離れた店を選んだが、ふつうの自転車やちょっとしたスポーツバイクなら市街地に近い店でレンタルできる。夜間の保管はホテルの部屋がベスト。恐る恐るエレベーターに運んだが、ホテル側からは何も言われなかった。


さて、約束通り8:30にホテルに戻り、隣のモアナサーフライダーホテルの朝食を食べに。ワイキキ最古のホテルというだけあって格調高く、とにかくオープンテラスの雰囲気が抜群だった。料理も大満足。ご飯や味噌汁、納豆まであるし、定番のブレークファーストメニューはどれも一級。とくに流行り?のポーチドエッグが嬉しかった。このホテルの従業員は日系の人が多く、すごくきめ細かい接客をしていた。


極上の朝食を堪能したあと、ショッピングのためアラモアナショッピングセンターへ。ここは300以上の専門店がひしめく、買い物のメッカだ。

家族をトロリーバスに乗せ、自分はロードバイクを返却するため、自走でお店まで。返却手続きをして(主にキズが増えたかどうかの確認)、アラモアナまで徒歩で。

家族と合流してショッピング三昧。といっても欲しいものなんて特にないので、自分のものは何一つ買わず。オークリーの新作グラス(200ドル)だけは本気で迷ったけどやめた。なんだかんだと歩き疲れて、子どもたちもグズりだしたので退散。


部屋に戻り、ほかの人たちと合流して最後の晩餐に出かけた。ハワイNo1のロコモコ食べさせてくれるウルフギャングステーキハウスを訪れたが、日本人が行列を作っていたので諦め、カンニング竹山の店近くの和風居酒屋へ。サッポロ黒ラベルで乾杯。ちょっと割高だったが海外と思えないクオリティで満足できた。なんといっても日本食は落ち着くねぇ~。

と4日目の夜が更けていったのでした。

ハワイ旅行記 〜5日目、とうとう帰国〜

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2015.5.20

バカンス5日目

朝からイソイソと荷造りを始め、時間が余ったのでお馴染みのABC storeに行き、最後のお土産調達を。あー、結局スタバに行けんかたなー。最後にビーチにも行きたかったけど。

9:05にホテル前にお迎えのバスが。見送られながら、一路ホノルル国際空港へ。なんだかあっとう間にハワイでの滞在が終わってしまう呆気なさと明日から現実に戻らないといけないというサザエさん症候群にも似た気持ちに。楽しい時間は過ぎるのが早いもんだねー。身をもって実感。

トロリーバスのガイドさんが言っていた。
「ハワイはアメリカで1、2を争う物価の高いところ。それなのに賃金は最低ランク。住むところじゃないわ、観光に来るところよ」

たしかに日本に比べると1.5倍くらい物価が高い印象だ。長く滞在するとその分だけ費用もかかる。ある程度の滞在で目一杯楽しんでリフレッシュするのが良いのかも


空港に着き、搭乗時間まで1時間半くらい時間があったのでキッズルームで遊ばせようかと思って空港職員に尋ねたら無いとのこと。で、中庭の中国風庭園で待ち時間を過ごした。



12:10ホノルル発 JL793 名古屋行】

着陸まで20分でとうとう娘が機内で爆発。「ハワイは?ハワイは?」とギャー泣き。ほかの子は途中で散々泣き喚いていたから、よくここまでガマンしてくれたと言いたいが、ほかのお客さんに迷惑をかけるので心が痛む。この20分の長いこと長いこと...ほかの子も連鎖反応で泣き出し、最後は阿鼻叫喚の大合唱に........ハァ。

とまあ、いろいろあったが無事に帰国。
長い長いバカンスが幕を閉じたのでした。

東京行 〜1日目、上野公園をぶらぶら歩く〜

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日本考古学協会総会に行ってきた。
ふだん役所にいるとアカデミックな空気に触れる機会が少ないので

、なるべく毎年参加するように心がけている。

ハワイから帰国して中1日で東京行。

23日8:25の富山空港発の便に乗る予定だったのだが、なにを血迷ったのか5:20からの朝練に参加し、帰宅してシャワーを浴びて荷物をまとめて家を出た。空港には7:45くらいに到着し無事に搭乗できた。ポスターセッション用の紙筒を携えて。


東京は5月と思えない暑さ。

上野公園を歩いていると多くの人がいて、スタバは信じられないくらいの行列が。ガパオライスで腹ごしらえして東京国立博物館など、いくつか見て回り、最後に寛永寺を訪れたところで陽も傾きかけていたし、さすがに朝練の疲労も出てきたので宿のある立川駅に向かった。

立川は想像以上の大都会で、多くの人と飲食店で溢れていた。ホテルにチェックインし、近くのタイ料理屋にピットイン。小さなバケツに氷とビールを入れたバケツビール、タイ風フライドポテト、アボガドとエビのサラダ、米麺のパッタオ、揚げたバナナとココナッツアイスのデザートなどをいただいた。


KRYMさんから「夜中に飲むぞ!」とメールがあり、今夜は肝臓を休ませられないなと構えていたが、部屋にもどってジロ・デ・イタリアを観戦していたら落ちてしまった。

東京行 〜2日目、日本考古学協会総会@帝京大学〜

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日本考古学協会総会の当日。
昨夜寝落ちしてしまったので、朝4時に起きてしまった。

ホテルの簡単な朝食を済ませ、8時に宿を出て、会場の帝京大学へ。

モノレールで立川から中央大学・明星大学駅で降り、住宅街を歩いていくと帝京大学に着いた。が、それらしい人はおらず、駅からの案内も目に入らなかった。ほんとにここが総会の会場だろうか?一瞬頭をよぎったが、17号館の入口でTGMやFJTさんに会って氷解。

本日のメインはポスターセッション。
初めて応募してみたのだが、少し心許ない。いったいどれくらいの方に見てもらえるのだろうか。そもそも総会に出せるほどのレベルに達しているのだろうか。でもチャレンジすることは尊いはずだ。と葛藤しながらポスターを掲示した。

今回は山口県岩国市のFJTさんとパリノのTJMTさんの3人の連名で「砺波平野における地震痕跡の研究」と題して御館山館跡で見つかった噴砂や断層の分析結果をまとめた

ポスターセッションは17号館の3階にあり、2箇所に分かれていた。階段をのぼってすぐの場所とその反対側である。自分たちは後者なので人が流れてこない。

10時になったので発表会場に聴講に行った。2本ほど聞いて、会員の受け付けをして、図書販売会場へ。すごくモダンな空間に多くの人が集まり、活況を呈していた。なぜか富山考古学会のブースは無く、石川などにご挨拶して、足はふらふらと博古研究会のブースへ。するとMG先生や長野のYNGSWさんや同期のINKC、水戸市のYNKWくんがいた。

これまでちょっとフェードアウト気味だったのでファーストコンタクトは微妙な空気だったがすぐに先生が受け入れてくれ、YNKWくんを残してランチを食べに行くことになった。カツカレーを食べながら、先生の話を聞いた。話は教え子の近況から遺跡の話、戦国バサラの企画展、博古研究会の今後から習近平の歴史観にまで及んだ。齢74才になるが、20年前とまったく変わらない若々しさだ。「今日は大輔が復活した日だ。嬉しいな~」と何度も言っていて、照れ臭いやら申し訳ないやら。


13:00から14:00まではポスターセッションのコアタイムだ。心配していたが、結果的には多くの方に来てもらえて、喉がカラカラになるほどだった。持参した50部の資料と論文の抜き刷り20部は午前のうちにはけてしまった。しかし、良い経験となった。あまり込み入った話や鋭い質問などはなく肩透かしにあったが、それだけウケが悪い内容だったのかも。が、定位置にいることで知り合いが訪ねてきてくれて、知り合いが知り合いとつながったりして交流の場になった。これはある意味、研究発表より有意義かも知れない。南アルプスのHSKさん、伊達のAONさんや長野のイケメンハンサムボーイや岩国のKNZKさん、今は文化庁のFKZWくんなどたくさん来てくれた。

会場の帝京大学は施設が新しいだけでなく、スタッフのホスピタリティーが高く、一体的な運営がなされていて素晴らしかったことも記しておきたい


15時くらいで撤収して、KRYMさんとFJTさんとで新宿に向かい、羽田空港の第2ターミナルまで。18:25発の便で無事に帰富。

さて、来年はどうしようか。

富山考古学会のために図書販売員に返り咲こうか。それとも研究発表にチャレンジしてみようか。それともポスターセッションをアップグレードするか。さてさて、どうしようか。


【課題】
・紙筒を持ち運ぶのは手間なので先に宅配便で送ること。帰りも同じ。
・レイアウトはだいたい良いが、図やグラフがあると説得力が増す。
・資料(ポスターの縮刷A4)は100部以上持参すべき。またPRしたいリーフレットなどや図書頒布リストも持参すべき。
・名刺も多めに用意すること。
・コアタイムは必ず場所にいること。
・仮止め用ガムテープは便利

利賀エイド奮闘記 〜グランフォンド富山2015 2回目の挑戦〜

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昨日まで降水確率30%で曇りの予報だったので
完全に油断していたら、朝から冷たい雨が。
そのうち晴れるだろうと思っていたら、8時を過ぎても土砂降り状態。

仕方なく利賀エイドでは体育館にゴザを敷いたりして
雨の日シフトにしたが、そのうち晴れてきてその必要もなくなった。
7時頃にエイドに着き、機材をセッティングして、9時頃にスタッフのみんなが
集合してくれて一気に設営が進んだ。去年の反省から時間を早めたので、
今年はスタッフみんなで記念撮影をする余裕が(笑)


去年はじめて利賀エイドを任されてテンヤワンヤだった。


◆昨年の様子→http://ameblo.jp/nhrdsk/entry-11868872727.html

今年は円滑にエイドを運営できるように、いくつか改善した。
・スタッフ数を増やした。
・ひとりあたりの補給食単価を上げた。
・簡易テント、丸イス、水タンク、折りたたみ机などをレンタル
・ゴミのところにスタッフを配置
・スイーツ強化(ソフトクリーム販売) 
などなど

去年は先頭が10:51頃に到着して怒涛のごとくサイクリストが到着して
てんてこ舞いだったが、今年は「先頭がくるぞー!」の声に身構えたが
先頭集団が到着してもポツポツとしか来ない。それも拍子抜けするくらい。

しばし穏やかな時間が過ぎた。


が、余裕をかましていたら、11:50くらいになると駐車場はほぼ満車状態。
蕎麦やおにぎりに行列ができはじめた。

ちなみに今年のメニューは
手打ち蕎麦(or清流そうめん)、おにぎり2個(のり+とろろ)、
漬け物・なんば味噌
など。

去年、「補給食が少ない!」とクレームをいただいたので
蕎麦を増量し、おこわからおにぎり2個にボリュームをアップ。

さすがに今回は「お腹がいっぱいになった」との声が聞かれた。

(その分、用意していたチョコラーテきよさんのソフトクリームやかき氷を
求める人は少なかったみたいだ。反省。)


あのサイスポの取材が!

撮られている緑ジャージは同期の女の子のチームだ。


水タンクを建物側に並べ、もし空になってもホースで補給できるようにした。

去年はタンクと水道の往復で疲弊したから。でも暑くなかったから
最初の補給だけで済んだ。

去年も参加された方から「去年の利賀エイドの給水はありがたかった」とのお声も。

でも去年は氷あり、今年は氷なし。来年やるなら氷を復活しないと。



漬け物コーナーも。

利賀の赤カブの漬け物となんば味噌、
そしてうちの母手作りのキュウリの漬け物とどら焼きも。
サイクリストは塩分が必要だそうで、残らないか心配していたが
あっという間に無くなってしまった。

やっぱりこういうのって喜ばれるんだね。

しかもスタッフの工夫もありがたかった!
蕎麦をもらったあと、おにぎり→お茶ペット→漬け物と進むのだが、
おにぎりの受け渡しのところで「パックをお開けしましょうか?」と声をかけて
開封してあげ、漬け物コーナーで味噌や漬け物をリクエストに応えておにぎりパックに
入れてあげる、という素晴らしい流れが!

すべての参加者に同じように対応できたわけではないが、
この流れが作れたことは良かったと思う。


↑動画でエイドの雰囲気をお感じください。ピーク頃の映像です。


本日のピークは11時50分から12時40分

去年よりもピークの開始時間が遅くなったものの、
やはり怒涛の時間がやってきた。

ここでとうとう蕎麦に大行列が発生。
しかも気前よく蕎麦を増量してたら途中で底をつきかけてしまったので
急遽追加の蕎麦を配送。つづいてダシが枯渇。で蕎麦がとうとう無くなり、
清流そうめんを配送してもらう。そして追加のダシも到着し、
なんとか切り抜けることができた。というか、参加者の方にはお疲れのところを
かなり待ってもらい、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

少しでも待ち時間を有効に過ごしてもらえるように
待っている皆さんにおにぎりとお茶をお配りして対応した。


お茶目なMRYMさん。

このコスプレ衣装、ぜんぶ自作だそうだ。
しかし、自作とは思えないクオリティだ。
いつもの猫バスが北陸新幹線バージョンになっていた。
背中には黒部市民しか持ってないワッペンも。

サイドはメッシュ素材で快適性も追求しているところは流石だ。

MRYMさんをはじめ、今年はいろんなサイクリストの方とお話しする余裕が
あって、スタッフをやりながらも楽しむことができた。



室内の休憩スペースも去年よりセッティングを工夫した。
去年はガラガラだったが、今年はけっこう利用していただけたようで良かった。
来年はおしゃれなBGMでも流そうかな~♪



行列のMAX時の様子。
反省のために載せておこうと思う。

スタッフのみなさん、参加者のみなさんのおかげで大きなトラブルもなく
エイドを運営することができた。とくに機転のきくスタッフのおかげで
乗り切れた部分が大きい。感謝、感謝である。

<来年への課題>
・蕎麦からおにぎりへの導線を工夫すること
・来年は趣向をかえて蕎麦じゃないメニューも?
・蕎麦の茹でるところの排水を確認
・水には氷
・蕎麦の量を確認。追加体制の確保。
・なんば味噌、漬け物、その他を増量
・室内にBGM
・薬、救急箱
・雨が降った場合の昼食の搬送
 など


今年もおかげさまで無事に利賀エイドを運営することができた。
残る課題は利賀地域のみなさんとの連携だ。
今年は村全体にスタッフの募集をかけたが2名しか応募は無かった。
行政や商工会に協力をお願いしたが、新緑祭りを理由に協力を得られなかった。
利賀地域の振興のため、利賀地域のスポーツツーリズムの推進のために
利賀エイドの運営責任者をやっている部分もあるのだが、これでは何のために
利賀でエイドをやっているかわからない。ここは一番の課題だが、利賀の人々が
天空トレイルランに関わるモチベーションの数%でいいので、
グランフォンドに関わってもらえるよう工夫できないものだろうかと思う。

やればやるだけ課題や反省点が見つかる。
でもそう思う内は発展の余地があると省みつつ、
無事にエイドを運営できたことに安堵したい。

グランフォンドに関わったみなさん、
お疲れ様でした!!

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【天気も良くて最高!】南砺の皆さんと魚津の城郭を攻めてきた。

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南砺市民大学の今年1回目の出講で魚津市まで。
県東部の城を攻めたいとのリクエストに応えて、「松倉城とその支城群を攻める」と
テーマを設定した。さすがに魚津の城をガイドするのは初めてだ。


松倉城を中心にするつもりだったが、時間や昼食の関係もあって
魚津城に向かい、じっくりと城下町をめぐることにした。たっぷり2時間も。
途中、立ち寄る予定だった御旅屋、桃原寺、伏見稲荷、出丸町などは時間の関係で
パスしたが、城下町の町割りが現在も生きていることや北陸道が城に沿って曲げられて
いること、角川と鴨川が外堀になっていることなどに受講生は関心を示していた。


途中、魚津銀座で話していたら店の人が「なになに?」と出てくる場面も。



お昼はリクエストした魚津ご城下「藤吉」さんへ。
こちらは雰囲気があってオシャレな店内で、とてもリラックスすることができた。
ランチも最高で、豚肉と野菜が絶妙でヘルシーな味付けで大満足。
去年の金沢城攻めでは親知らずの手術直前でランチが食べられず、
ひとりゼリー食を食べたことを思い出した。しょっぱい思い出だなあ(笑)


この藤吉さん、6月3日に2号店がオープンするそうだ。

魚津城が落城した6月2日にちなんでオープン日を決めたのかと思い、

店員さんにたずねてみたら、違っていた(笑)



楽しく美味しいランチを終えて、松倉城へ向かう。
魚津の城下にある多くの寺は松倉城下から移転してきている。

椎名氏時代は松倉に中心があったが、魚津城の戦い前後以降は魚津に移転したのだ。
そのことを感じてもらうために両方をじっくり見てもらいたかった。


松倉城は涼しくてトレッキングには最適の気温だった。
本丸の模型を使って説明して、眺望を眺めて、改めて松倉城の素晴らしさを体感した。
そのあと、三の曲輪まで行き、バスに乗車。最後に武隈屋敷を車中から見学して
今回の城攻めは終了。ちょっと足に都合の悪い方もおられたが、なんとか無事に
終えられることができた。ホッ。


毎回思うのだが、南砺市民大学の事務局のホスピタリティーは高い。
どこの講座よりも快適に、しかもアテンドに専念できる。
なのでお願いされると、ついつい引き受けてしまう(笑)
でもやり甲斐もあるし、受講生も熱心だし、なにより自分も勉強になるので
これをライフワークにしてもいいんじゃないか、とも思えてくる。
さて、来年はどんなコースにしようかな。
今から考えるだけで楽しくなってくる。


今回も城館マップを作りました!
しかも勢いあまって魚津城の復元図も。
協力いただいた魚津市さん、魚津市教育委員会さん、ありがとうございました!

氷見市博の御一行が視察。小境館長の視線に緊張する。

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氷見市の博物館関係者御一行が視察に訪れた。

オープンしたばかりの埋文センターと民具展示室を2時間ほど。
氷見市は博物館は立派だし、資料は充実、考古や民俗などスタッフも優秀なので
「なんでうちに来るの?」状態だったのだが、少しでも学んで博物館に活かそう
という貪欲な姿勢にこそ氷見の強みがあるように感じた。

小境卓治館長にお目にかかるのは初めて。
その視線は微に入り細を穿ち、非常に厳しい。
このような方が行政にいること自体が驚きだ。
言うべきことはその場でスパッと言う。
なので、ざっくばらんな中にも緊張感のある視察となった。

とりあえず近いうちに魚々座を訪れてみようと思う。

魚々座

※写真は氷見市立博物館。以前訪れたときのもの。

大人の修学旅行・上野公園編 ~大英博物館展と鳥獣戯画展を楽しむ~

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ペーパークラフトがつなぐご縁。

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午後、山梨大学大学院の
TNK教授が来砺され、案内をしてきた。

驚くことにその目的は入道家住宅のペーパークラフトだ。

 

入道家住宅ペーパークラフト

 

砺波平野のアズマダチ家屋として代表的な建造物で、富山県指定文化財の

入道家住宅を1/150スケールで作ったものだ。

2009年に作ったものだが、今でも散居村で無料配布している。

 

まさかこれを目当てに山梨からはるばる来られるとは恐縮しきりだ。

先生は授業の実践で活用できるように全国各地の民家や現代住宅のペーパークラフトを

作っておられる。沖縄の中村家住宅、青森の高橋家住宅、岐阜の旧遠山家住宅など

その地方の代表的な伝統的家屋のペーパークラフトを制作されている。

ペーパークラフトを通じて民家や集落の特徴や地域性を
手軽に学習してほしいという目的があるそうだ。

 

以前に砺波のアズマダチを作ろうと散居村ミュージアムに立ち寄ったところ

すでにペーパークラフトが出来ていたので驚かれたそうだ。

今回はその経緯や活用法をリサーチに来られた。

 

まさか入道家住宅のペーパークラフトを大学の先生が訪ねてこられるとは。

ひとまず曳山会館をまわり、埋文センターで久泉遺跡のペーパークラフトを
見て、散居村ミュージアムとかいにょ苑に立ち寄った。

またまた新幹線で東京に行ってきた。

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先日北陸コカコーラの社長さんらと鳥獣戯画展を見てきたばかりだが、

今度は仕事で東京に行くことに。

例によって7:28新高岡駅発のかがやきを待っていると
「野原くん!」と威勢の良い声が。KIGC弁理士さんだ。
車両も一緒で、東京駅に降りてから山の手線も一緒に乗って浜松町でお別れ。

まずは渋谷に向かうことに。渋谷駅で下車してハチ公バスにのって表参道へ。
そこには明治神宮の巨大な石灯籠が。こないだ見た上野東照宮の石灯籠より大きい。


表参道から歩いて國學院大學博物館へ。
昔のイメージでは狭い空間にこれでもか!ってほど圧縮して展示されていたが、
まったく雰囲気は変わり、洗練された空間になっていた。圧縮陳列は変わらなかったが。
展示物の面積あたりの数はほかの博物館を圧倒するだろう。そのためかキャプションなど
は少なかった。一般人よりも専門家向けの博物館だ。



樋口清之氏のコーナーもあった。
自分が初めて考古学に関連した本を読んだのは小学6年生くらいの頃、
母親が読んでいた樋口氏の本を読んだのが最初だ。なので妙に感慨深い。
ちなみにその本は母親に返さずに今も自分の本棚にある。


そこから西麻布に移動して北海園で軽くランチをとって、

たまにはアートに触れたくなったので、新国立西洋美術館に立ち寄ると
なんとお休み。。。がっくり。


仕方なく六本木に移動して21_21design siteに行くとここもお休み。
今日は2連敗だ。美術館に縁のない日なのだろう。

テキトーに六本木ヒルズ内をプラプラして、テレビ朝日や毛利庭園に
寄って、六本木駅から地下鉄で霞ヶ関へ。とりあえず虎ノ門の虎の像をパトロール。


午後から文部科学省の講堂で今回のメインイベントである研修会に参加した。
エアコンが効きすぎて寒かったことはさておき、史跡や文化的景観のマネジメントに
関する研修だったのだが、研修の狙いは何だったのかイマイチ判然としない内容の
研修だったように思う。たとえば上の写真の図は、だれも理解できなかったのでは?
せっかく全国から担当者を集めるのならもっと濃密なもので、
超実務的なものか、もしくは理論的で痺れるような内容のものを期待したい。

研修には文化庁のFKZWくんがいて、終了後にしばし談笑。
今度東京に来たときには一緒に飲もうと約束した。
おいしいワインの店に連れていってくれるそうだ。楽しみにしておこう。



研修後、新幹線の時間までしばらくあったので、上野に移動。
平日なので博物館は早く閉まるし、今日は美術館に縁のない日。
夜高の疲れも残っているので、おとなしく鈴本演芸場で落語を聞くことにした。

軽い気持ちで寄席に入ったが、だんだんと見入ってしまった。
太神楽曲芸の鏡味仙三郎社中の妙技に観客一同息を飲んだ。
落語では三遊亭白鳥のおバカなナースの話や橘家文左衛門のドスのきいた語り口調に
思いっきり笑わせてもらった。しかし寄席はいいね。
稲荷寿司弁当と缶ビール2本をいただきながら演芸を観られるとは贅沢だね。

19:30すぎまで落語を聞いて、ちょっとだけお土産を買って
20:02上野駅から北陸新幹線に乗車。2時間弱で新高岡駅に到着。

日帰りの東京出張にも少し慣れてきたような気がする。

【新刊のごあんない】 まんだら絵解き図鑑

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デジタルミュージアムのフォトライブラリからの申請システムを構築したおかげで
最近、東京の出版社から画像の使用依頼がちょこちょこと来る。
これは今までになかった動きだ。

そして今日も新刊本が手元に届いた。

まんだら絵解き図鑑

双葉社発行の「まんだら絵解き図鑑」である。
帯にある「「死にかた、生きかた」がわかる本」というコピーは
一瞬ギョッとするが、人目を引くための工夫が詰め込まれている。

「大人のための絵本」というだけあって
イラストがふんだんに使われていて読みやすい。

本を作る苦労が少しだけわかる分、
新刊本が手元に届くと「おつかれさまでした」という気持ちになるし、
仕事が山積のはずなのに(笑)、ついつい全部読んでしまう。

ラジオデー。

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夜高のアトフキの次の日にひいた風邪がようやく回復してきた。
だんだんと本調子に戻していこう。

今日はラジオデー。
朝からミーティング→ラジオ(FMとなみ)→ラジオ(KNB)→ミーティング。

いつも思うのだが、もっとトークスキルを上げないといけないな~。
まあ、しゃべりで生きている訳ではないが、あるに越したことはないからね。
こないだの鈴本演芸場で見た落語家さんみたいにしゃべれたらなあ。



最後のミーティングで砺波や南砺は本当に住み良いところだと実感した次第です。
要は「この土地は豊かだ」と感じるかどうか、かと。

ジャック・バウアーになった日。

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アメンバー限定公開記事です。

【ほほ笑みの土偶】 大島直行氏の論考が北日本新聞に!

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(↑2015.6.24 北日本新聞)


1日遅れの記事で申し訳ないが、
昨日の北日本新聞に大島直行氏の論考が大きく掲載された。
埋文センターのオープンに合わせてほほ笑みの土偶を特別展示したのだが、
その展示期間中に大島氏はわざわざ北海道から土偶を見に来られた。
この論考は土偶をじかに見て、書き起こしたものだと思われる。

ほとばしるような情熱、土偶を目の当たりにした興奮。
それらが文章がビンビンと伝わってくる。 


雨ニモ負ケズ強ク踏メ!! 〜内灘サイクルロードレース2015・初参戦記〜

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素晴らしく刺激的で、どうしようもないほどタフだった。人生で初めてのロードレースに参加したので、レポートしておこう。

エントリーしたのは日本のアマチュアライダーが集う内灘サイクルロードレース2015。しかもあろうことかチャンピオンコースに出場し、なんとか無事に完走できた!!

順位は73位。

130人の参加なので中途半端感は否めないが、チャンピオンコースはプロの競輪選手や国体選手、実業団の選手など名だたる猛者がひしめいているので、ホビーライダーの自分にとっては十分に満足のできる結果だった。

だが、リザルトなんかよりも雨の降る中、途中で気持ちを切らさずに自分の中でベストを尽くして走りきったことが何にも代えがたい経験となった。レースを終えた今、とても誇らしい気分だし、いまだにゾクゾクした感触が全身を覆っている。

さて、まずは気になるリザルトを。

<チームメンバーの結果>

1位(参考) UENさん
32位 OHMRさん
67位 ARTNさん
73位 野原大輔
76位 KJさん
DNF MTKWさん

※リザルト詳細は記事の最後に載せてあります。


さて、朝から時系列を追って書いていこう。


こんな大事なレースの前の日だというのに、地元の獅子舞の慰労会が金沢であったので参加。アルコールを断るつもりがついつい楽しさにつられて飲んでしまい、気がついたら二次会まで。11:30就寝。


4:30起床。
チームメンバーは福野のアミューに5時に集合。自分は金沢泊まりだったので直接内灘へ。6時すぎに会場に着いて夢ミルク館の本部横に駐車していたが、受付は野菜出荷場だったので移動。すでにみんな集まっていた。ちょうど良い入り時間だった。


受付を済ませ、ゼッケンをジャージにつけたり、タイムを計測するためのチップを自転車に取り付けたり。なんのせチャンピオンコースの出走が11:35なので、時間がたっぷりある。メンバーとたわいもない会話を楽しんだり、参加者全員にふるまわれるチャンピオンカレーを食べたり、自転車のセッティングをしたり、軽くアップをしたり、昼寝をしたり。みんな思い思いに時間を過ごした。



7:30になるとチームTTがはじまったのでシャトルバスに乗って野菜出荷場からスタート地点に移動。はじめてTTレースを見たが、スタートから信じられないくらいのスピードを出す。そんなに飛ばしたら後半タレるんじゃないか、と心配するくらい。

ここでカリスマ美容師のKNMRさんが登場するのでみんなで応援。雨上がりで路面が濡れていたのであまり飛ばせなかったと言ってたが十分に速かった。しかしチームTTと一般の部に出場するとはなんとも元気だ。


そんなこんなで初レースということで緊張しながら過ごしていたら、スタート時間が迫ってきた。慌てて選手召集地点に向かうと、先日内灘の試走でたまたま一緒になったバルバの実業団の女子選手が歓喜の輪の中にいた。聞くと女子の部で優勝したのだという!強そうだと思ったがそこまでとは!!勝利にあやかって握手をしてもらい、運をおすそ分けしてもらった。

すでにスタート地点には選手がズラリと並んでいる。こんな人たちと本気の競争をするのかと思うと身がすくむ思いだ。まずはチップの確認をして、自分の名前をサインして整列すると、集団の最後尾付近になってしまった。アチャー!まったく何やってんだか。


(↑この後の辛さを知ることもなく余裕でピースサインをかますの図)


整列をして、10分前くらいになるとスタート位置へ移動。
この頃から空にドンヨリとした雲が覆ってきて、海方向から風が吹いてきた。選手が口々に寒い寒いと言っている。せっかくアップしたのに冷え切ってしまうほど。身を小さくしてスタートを待った。これはツラかったなあ。



11:35、一斉にスタート。


とにかくまわりの選手にぶつからないように慎重に進む。するとチームのARTNさんが「クリートがはまらんかったよ~」と余裕の表情で前に進んで行った。


今思うと、スタートから第1コーナーまでの入りが失敗だった。


初めてのレースということもあり、なぜか目の前の景色が他人事のような気がして、ぼーっとしていた。その間に前の集団はどんどんと遠くなり、後ろからもガンガン抜かされていく。気づいたら最後尾のビリッケツになってしまった。

ここでふと思った。
「DNFしてしまおうか。」

一瞬そんな考えが浮かんだが、ドロタボウのSNさんの言葉が脳裏をよぎった。
「走らずに後悔したことはあるが、走って後悔したことはない」

そうだ。
まだはじまったばかりじゃないか。よし、とにかく強く踏んで行こう!
心の「強いスイッチ」がONになった瞬間だった。

目標が「とにかく完走すること」に変わった。

すると目の前に金沢のプリンスロードの選手がひとりで懸命に前を追っている。さらにその前にバルバの選手も。そこに自分が加わり、3人で前を追うことに。第1コーナーではブライドラーの選手が早くもホイール交換していた。じつは、この人が今日のレースでの自分にとってのキーマンとなった。


ブライドラーの選手はあとで知ったが、店長さんだった。
ブライドラー店長は必死に我々を追いかけ、1周目の半分ほどで追いついてしまった。4人になったので、みんなでローテをしてまわす。


1周目の最後の直線。ここだけが追い風だ。

4人中、2人がスルスルっと前に出た。自分は最後尾。3人目の選手に追わないのか問いかけたが、目一杯の様子だったので自分が牽いて2人に追いついた。今日レースで一番脚を使った場面だった。


2周目に入ると雨も強くなってきた。サングラスに雨が掛かって、視界は最悪だ。ローテをするのに危険だ。たまらずサングラスを外すとこれがGoodだった。





4人のローテはうまく回り、というよりブライドラー店長が他の3人をコントロールしてうまく機能した。ちょこちょこと前方集団から落ちてきた人をパスしながら40km/h前後で着実に進んだ。


3周目くらいに前方に10数人の影が。見ると自分と同じTTRジャージがいるじゃないか!一瞬目を疑ってしまった。なぜならKJさんだったからだ。ヒルクライム富山シリーズで上位の常連で、朝練のときもいつも自分より速い。そんなKJさんに追いついてしまったのだ。


そこで目標が「KJさんより先にゴールすること」に変わった。


そのKJさんグループに追いつき、ローテの人数が増えた。よし、これでひとりひとりの負担は減るな。と思ったのも束の間だった。自分が先頭を牽いて、ブライドラー店長に交代する。後ろに下がろうとすると誰も下がらせてくれない。つまり、自分とブライドラー店長で牽けってことだ。


ブライドラー店長は思わず、こちらを見て「二人だけかよ!」と叫んだ。それは同時に「仕方ない、二人で牽こうぜ」という合図だった。


たまにバルバの選手もローテに加わったが、基本、自分とブライドラー店長が長牽きしながら周回を重ねた。この長牽きはツラいものだったが、自分で言うのも何だが自分のチカラ以上の働きだったように思う。やっぱりアドレナリンって出るのかね。



とうとう最終の5周目。

ようやく他の人もローテに加わりはじめた。助かった。じつは2周目から両方のフクラハギが攣っていたのだ。ダマシダマシここまで来たが、さすがにキツくなってきた。


「最終回だ!とにかく安全に行こう!」
ブライドラー店長がみんなに声をかける。最初の直線。スピードを落とさずに慎重に進む。バルバの選手が先頭に出てグッと加速したが、それは協調体制を崩す動きだったので、「速い!速い!」と後ろから声が。

バックストレートに入り、先頭交代をするたびに、ブライドラー店長はひとりずつ「お疲れさん!よく頑張った!」と労いの声をかけた。不思議なもんだね。1秒でも早くと競ってるはずなのに、ローテのグループ内では一体感が生まれ、仲間意識が出来上がっていた。まるで戦友のような。

ブライドラー店長はまた叫んだ。
「ゴールスプリントをするなよ、いいか、わかったな!!」みんな「はい!」と応じて最後の直線に。

残り1kmの標識が見えた。
気がついたら自分が先頭だ。そこでまたドロタボウのSNさんの言葉が去来した。「走って後悔したことはない」よし、出し切るぞ。と最後のチカラを振り絞ってペダルを強く踏んだ。まわしてまわして、全力でまわして。最終コーナーだ。曲がったらもうゴールは目の前だ。ローテしたみんなでゴールしよう!と思ったら、自分だけ単独で抜け出してしまった格好になってしまった。アチャー!

でも目標の「KJさんより先にゴールする」は達成できた。なんという満足感だろう!!



チームのみんなに駆け寄ると、UENさんがVサイン。え?もしかして優勝? ウンとうなずくUENさん。やったぜ!!凄い凄い!!さすが我らが道場長!

と喜んだが、表彰式に悲劇が待っていた。
UENさん、スタート前にサインをし忘れていて、失格となってしまったのだ。がっくりと肩を落とすUENさんを一緒に走った選手が取り囲む。みんなわかっているのだ。紛れもなく今日一番速かったのはUENさんだったのだ。誰よりも強かったのだと。胸を張っていい結果だったと。

そんなこんなで最後にサプライズがあったが、雨の中のレースは終わった。今はまったく後悔はなく、清々しい気持ちでいっぱいだ。これもチームの仲間、一緒に走った選手の皆さん、大会関係者、そして家族のおかげだ。皆さんありがとうございました。



<今日出来たこと>
・最後尾から73位まで追い上げた。
・他の選手と協調してローテできた。
・自分の走力を出し切った。


<今日出来なかったこと>
・スタートで先頭集団に着いて行けなかった。
・体が耐えられなかった(足が攣った)
・水分補給を全然できなかった。


<必要なもの>
・固定ローラーor3本ローラー
・折りたたみ椅子
・簡易テント
・食料(パン・おにぎりなど)、水分(ハイポトニック飲料など)
・リラックスグッズ
・着替え、バスタオルなど
・工具、ポンプ、替えタイヤとホイール





氷見は漁業の「県立博物館」だ!!

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学芸員や研究者は現場に足を運ばなくてはいけない。
そう痛感させられた視察だった。

6月2日に氷見市立博物館御一行が砺波市の文化財施設を視察したときに
「ぜひ氷見市にもお越しを」とありがたいお言葉を頂戴したので、
図太いわれわれは氷見市文化財センターと魚々座(ととざ)にお邪魔することに。

氷見市文化財センターはついこの間まで存在を知らなかったのだが、
氷見の女良(めら)小学校跡にある。旧校舎を利活用した施設なのだ。
25年度に開館したそうだ。

9時に訪れると、博物館のHRS氏と副館長のOHN氏が対応してくださった。

体育館には所せましと船が並べられている。
すべてが和船だ。これまで船の知識がまったくないので、基本的なところから
HRS氏に懇切丁寧に教えてもらった。


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海船と川船のちがい、オモキ造りや底の形状によるちがいなど。
富山湾周辺にはドブネ、カンコ、テンマ、テント、サンバなどの和船があり、
今では「なんのこっちゃ」状態だったが、その違いが少しだけ理解できた。
そして体育館いっぱいの船がどれほど貴重な資料なのか、説明を受けて理解できた。

しかし、船を実測する方法をHRS氏に聞くのを忘れてしまった。

校舎には民具や考古資料、書籍などが保管されていた。
民俗資料に関してはウチより多く所蔵している自治体は少ないだろうと思っていたが、
氷見市さんは3階建て校舎と体育館がほぼ満杯になるほど収蔵していて驚いた。
やはり、現場を見てみないとわからない。


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先日、氷見の館長さんが「ぜひ魚々座を訪れてください」とおっしゃっていたので
お昼前に魚々座に移動。

ガイドさんがおられたので、いろいろと説明を受けた。
元フィッシャーマンズワーフを再利用した施設だが、
どういう施設なのか一言で説明しにくいというか、
行政の直営施設と思えない自由さが感じられた。


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大きな施設の中には、実際に使える定置網が展示され、
お客さんは網にかかる魚の気分を味わえる。
黒板には定置網の説明がわかりやすく書かれ、2分の映像でコンパクトに紹介。
館内には博物館提供の古い写真が飾ってあり、中央のキッチンではワークショップも。
中央の床には氷見市のお宅から寄付された漁具や民具が床に並べられていた。
飲食スペースもあり、ちょうどお昼だったので刺身定食などをいただいた。


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館内にはNPOヒミングさんも同居していて、ワークショップなどを請け負っているようだった。
とにかく混然としていて、博物館でもなく観光施設でもなく、
なんとカテゴライズしていいかわからない施設だった。
ひとつ言えるのは行政の施設っぽくないってことだ。

「不思議な施設だなあ」 これが率直な感想だ。
番屋街との連携を強化すればもっとお客さんが入るのに、とも思った。

氷見市文化財センター、魚々座とも実際に足を運ばないと
空気感がまったくわからない施設だった。

【これは衝撃!】 金屋石と笏谷石の判別法が発見される。

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砺波市庄川町庄で産出される金屋石と、
福井県の名産である笏谷石(しゃくだにいし)は同じ緑色凝灰岩で、
ほとんど判別がつかない。

笏谷石の石工さんにいわせれば「見分けがつく」そうだが、
年数が経って風化したものはそう簡単に判別ができるとは思えない。
とくに富山には両方の石材が入ってきているので、これまでしっかり区別することは
できなかった。そこにきて、今日の北日本新聞の記事である。

この記事によると、種類や産地を「帯磁率」で特定する新手法を発見したという。

とくに衝撃だったのは尾山神社の石の導水管。
これまで金屋石と標記されてきたのだが、3本のうち2本が笏谷石だという。。。
これは少なからずショックだ。が、こうやって研究は進歩していくのだとも思う。

やってみないとわからない。だから、やってみるだけ。

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(↑クリックしたらイベントのページにとびます) 


施設の運営というのは難しい。
とくに埋蔵文化財センターのような歴史系の博物館的施設では、開館さえすれば来館者がひっきりなしということはありえない。なんらかの工夫が必要だ。
 
だが、見渡してみると閑古鳥が鳴く施設も少なくない。そういう施設は得てして活気がない。ハード(ハコ)がわるいわけでなく、ソフトに工夫が足らないように感じていた。だが、そういうところの人は来館者が少ない理由を環境のせいにしたがる。自分はそういう姿勢だけはまっぴら御免だ。でもウチもいつ閑古鳥さんが舞い降りてくるかわからない。
 
だから、もがけるだけもがいてみようと思う。
 
埋文センターがオープンして4月は予想以上の入館者があったが、5月には1/3に減ってしまった。これが現実か!と思い知らされた。で、あの手この手で各方面に働きかけてみたら6月には4月に迫る入館者があり、V字回復した。そこで得た教訓は、「動けば人は入る」である。なにもしなかったら、誰も来ない。
 
そこで、7月にイベントを打ってみることに。

小松市埋蔵文化財センターは毎年2回、古代体験祭りというのをやっているそうで、多くの子どもたちで賑わうという。それをリスペクトして(って1度も訪れたことがないのだが)、うちでも同じような体験中心のイベントをやってみることにした。もちろん思いつきのイベントなのでゼロ予算である。だが、いつかの文化庁の講習会で長崎の女性担当者が叫んでいた。「金がないなら汗をかけ!」 それを実践するまでのことだ。
 
なので今回のイベントは、予算1万円以内で行うことにしよう。
スタッフが少ないのでボランティア団体である曲輪の会や県埋蔵文化財センターなどに協力してもらおう。

やってやれないことはない。要はやるか、やらないかだ。これでダメなら次の手を考えればいいだけのこと。
 
さて、どれだけの子どもたちが来てくれるのやら。
今から楽しみなような、少し不安なような・・・。あとは当日フタを開けてみないとわからない。

クラフトビール三昧の土曜日

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MCDさんの壮行会を企画したので夕方あいの風に乗って富山へ。
グランドプラザで七夕ビアフェスタをやってて、ちょいと寄り道したら
もの凄いたくさんの人でごった返していた。


MUR氏に電話をもらって合流すると石川の埋文チームがすでに良い状態に。
近くでleafmanさんも発見。チケットが長蛇の列ということで、少し恵んでもらい
飛騨高山とドイツのクラフトビールをそれぞれ1杯。
しかしビアフェスタを楽しむ人の多いこと。

こういう楽しみ方もあるのね。


18時から本日のメインイベントであるMCDさんの壮行会。


当人の人望もあって、石川と富山の垣根を越えて若手考古学者+漆職人さんが
13人も集まった。MUR氏、TGM、ECZNさん、SNTKさん、HRSくん、
SGYMくん、石川からはYSNKさん、HYSさん、NSDさん、おまけのYKMK、
と遺跡の発掘経験もある漆職人さん。

会場はバルバンコさん。ここでもクラフトビールをたんまりと。

しかし、楽しい時間だった。あっという間に時間は過ぎて次の会場へ。

2次会は近くの和民で。

なぜか小鉢に熱燗を注がれて、一気に飲み干したら完全にグロッキー状態に。


で、解散したあとになぜかホッケ焼きが食べたくなったので
居酒屋に入ってひとり3次会。ホッケを1匹まるごと食す。
酔っ払いってバカだねえ。

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