山城サミット閉幕後、阿蘇の脇を越えて熊本入り。
竹田から2時間以上掛かったので、さすがにホテルから出る気力が無かったが、教育委員会フロアの熊本出身のHTさんから食べ処メモをもらった事を思い出し、オススメの熊北支那そばを食べに行った。レギュラーのラーメンと餃子を食べたのだが、もう絶句。こんなにトンコツラーメン、いや熊本ラーメンって美味しいんだ〜。あっさりなのに味が深い。自分の中で革命的なラーメンだった。ありがとう、HTさん。
朝、少しゆっくり目に起床。昨日の角牟礼は4時起きだったからね。でも今日は自転車で熊本城の被災状況をパトロールすることに。本当は、正直行くつもりはなかった。崩れる前の優美な姿を知っているだけに、辛い思いをする事がわかっていたから。でも美浜町のONさんの話を聞いたら、やっぱり目に焼き付けておかねばと言う思いが先立ったので、行ってきた。
城に近づくまでは、震災の気配はほとんど感じない。写真の櫓を見ても、石垣・建物とも大丈夫そうだ。
が、別の場所に行くとこの有様。
そこかしこに石垣が崩落している。
熊本城で一番お気に入りの宇土櫓は健在。
石垣、建物ともに影響はなさそうだ。
天守閣はカラスの巣と化していた。
熊本のシンボルがこのような状況では市民も辛いだろう。
所々では崩れた石垣を1個ずつ並べてナンバリングしていた。
石垣の復旧に向けて少しずつ作業しているようだ。
しかし、被害は想像を絶する。報道に接していると絵空事のように思うが、目の当たりにするとショックは大きい。目と心に焼き付けるつもりでシャッターを切った。復興には長い年月を要し、気の遠くなるような作業が必要だと思うが、熊本城の復元が震災復興のシンボルになると思うので着実に作業が進むことを願う。
九州入りして初めて晴れた。大分では濃霧続きだったが、晴天に接して気分も晴れやかに。熊本は景色もすこぶる良い。気分の良いまま、サクッと2つほど城攻めを決行。
その後、堅志田城を攻めた。
ここは壮大な縄張りを持つ中世山城で、栫(かこい)集落側から登ったのだが行けども行けども切岸に阻まれて前に進めない。これだけ切岸が急峻な城も無いだろう。本当に嫌気がさすと同時に、攻める兵士の気持ちにもなった。
主郭付近は立派に整備されていたが、先の震災によってなのか、大きく崩落していた。整備はおそらくここ5年以内の事。主郭には堀立柱建物の柱配列の復元がなされていたり、手すり付きの階段が設置されていたり、各曲輪に説明板があったり。その一部がガサーッと崩れているのだ。担当者の落胆の声が聞こえてきそうな程の大きな被害だった。
堅志田城は典型的な中世山城で、自分の好みの城だ。
整備されている側よりも栫集落側の未整備の部分の方が、手付かずの状態でとても良い雰囲気を醸していた。
午後、熊本県南部の芦北町に向かう。
田浦IC近くの道の駅で、芦北町教育委員会のFKGWさんと落ち合う。相変わらずにこやかでお元気そうだ。お仕事のある中、時間を割いていただき芦北町の城郭を案内してくださることに。ありがたいことだ。
まずは国指定史跡である佐敷城(さしきじょう)へ。
こちらは平成20年3月に国の史跡に指定されている。増山城より1年先輩にあたる。
晴れ渡る空、緑が広がる曲輪、渋色の石垣。
三者が絶妙なコンビネーションで美しい。そう、美しすぎる山城なのだ。
手入れは行き届いているし、石垣は壮観だし(夜はライトアップもやっている)、草は芝生のように管理されているし、本当に素晴らしい。景色はご覧の通り。ここは観光地としてブレイクする日も近いだろう。
いわゆる「元佐敷城」とも言える城だ。城までの道は険しいが、登ってみると見所の多い城だった。典型的な中世山城で、土塁や枡形が見られないが尾根に多重堀切を必ず設けたり、帯曲輪を階段状に配したり、これはこれで味わい深い。
案内してくださったFKGWさん、ありがとうございました!!
【追記】
66という雰囲気抜群のお店に連れて行ってもらい、美味しい焼き鳥をつまみながらお城談義に花が咲いた。いやあ、楽しい芦北の夜だ。