今年1発目の曲輪の会「城攻め」は
南砺市の石黒荘周辺にある山城を攻めることに。
攻撃目標は、西勝寺城、桑山城、広瀬城。
9:45に道の駅福光に集合すると、福井から御馴染みのAOKさん、
岐阜からはブログを見てやってきたMRMTさんが初参加。
朝は晴れていたのにスタート時点ですでに雨。
本来だったら中止するほどの雨脚だったが、せっかくなので城攻めを決行することに。
まずは西勝寺城に向かった。
主郭の虎口
ここは石黒氏の宗家・石黒太郎光秀が居城したと考えられる城だが、
現在残っている縄張りは16世紀後半頃とみられる。
石黒氏は15世紀後半の田屋川原の合戦で滅亡しているので、
現状の遺構はそれ以後に造成されたもの。
なおかつ、織豊期の特徴を有していない事を考えると16世紀第3四半期頃か。
だとすれば、いったい造成者はだれだ?
一向宗勢力か、はたまた在地土豪クラスか?
縄張りは3つの曲輪で成り立っている。
最高所にあるB曲輪、それと親密な関係にある主郭のA曲輪、
C曲輪は堀切で遮断されていて橋頭堡的な役割もあるが
幅広の土橋でA曲輪と結ばれている。
火宮社への参道
つぎにすぐ近くにある桑山城へ。
ここは田屋川原の合戦に登場する坊坂四郎左衛門の居城と伝わるが、
またしても現在残る縄張りは16世紀後半。
この城は単郭のシンプルなものだが保存状態が良好で見所も多い。
まずはなんと言っても攻撃拠点となる張り出しを見ておかなくては。
横堀を屈曲させ、敵につねに横矢がかかる工夫がなされている。
そして、主郭東側の切岸も圧巻。
高さ10mはあるだろうか。増山城の二ノ丸に匹敵する規模だ。
主郭東側の切岸
道の駅でお昼休憩をして本日のメインイベント、広瀬城へ。
まず辿り着くまでに四苦八苦。
登り口に到着してからも、登山道がブッシュで大変だった。
ここもまた16世紀後半の造り。
麓の広瀬舘集落からはかなりの距離だし、比高差も大きい。
集落の詰め城というより、加賀側への街道の押さえか、見張り台的な城か。
主郭には基壇状の高まりがあり、
佐伯軍師によるとお堂が建っていた可能性もあるという。
そして二重堀切を越えて、細い尾根にビビリながらB曲輪へ。
ここからの見晴らしが絶景だった。
最後に4本の連続竪堀を見たところで雪がひどくなってきたので
本日の城攻めは終了。
なんとも見所の多い城攻めだったが、
これまでで一番危険な城攻めでもあった。
次回は5月。県外遠征を考えております。