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Channel: 学芸員の小部屋
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板東の城を訪ねる旅 〜2日目〜

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まずは栃木県の足利市へ。


ここは日本最古の学校として知られる足利学校があり、
明治に廃校になるまで「板東に足利学校あり」とうたわれ
極めて名高い学府だったところ。
室町時代、多いときには学徒が3000人を数えたという。


大通りを走ると、直線的な土塁と茅葺の建物の美しいコントラストが
目に飛び込んできた。まさしくそこが天下に名だたる足利学校だった。
市街地の中にポッカリと中世の居宅が姿を現した感じだ。


足利学校は廃校後、紆余曲折をへて現在に至るが、
数年前に発掘調査を行い、それをもとに江戸時代中期の姿に
復元された。今は市内でも一番の観光地となってるようだ。

足利学校をあとにして、その背後にある鑁阿寺(ばんなじ)に。

ここが本当にすごかった。

鑁阿寺は今は真宗寺院だが、もとは足利氏の邸宅のあった場所。
足利尊氏が京に進出するまでの間、一族が拠点にした邸宅なのだ。



4万㎡をこえる敷地は、方形の土塁と堀によって囲まれ、
鎌倉時代の姿をとどめているという。もちろん国の史跡だ。
この邸宅は城の起源ともいえる平地居館なのだ。
土塁の上に立つと鳥肌が立った。寒さのせいもあったけど(笑)




そして、足利一族の墓があった樺崎寺跡(かばさきでらあと)に。
ここは今は樺崎八幡宮となっているが、かつては足利一族の廟があったり、多宝塔があったりと、足利家にとっては「王家の谷」のような場所だった。山裾に段がつくられ、それらの施設があった。


ふもとでは市教育委員会が発掘調査を行っているようで
ブルーシートの下からは庭園跡の白洲や中之島などが顔を出していた。
数年後、きれいに整備されることだろう。ぜひ再訪したい。

つづいて光得寺へ。
明治の廃仏毀釈・神仏分離によって樺崎寺から足利歴代の五輪塔が
この寺に移された。が、あいにく整備のため一時的に搬出されていて
五輪塔を見ることができなかった。

しかし足利学校にはじまり、
足利一門の足跡をたどって有意義な時間を過ごせた。



午後、埼玉県寄居町にある鉢形城(はちがたじょう)へ。

この城は北条氏邦の居城であり、1590年の小田原征伐の際に
上杉景勝や前田利家など豊臣方の有力武将に包囲されて開城した。

ここは昭和7年に国の史跡に指定されていて、
平成17年までに整備が行われた。エントランスには鉢形城歴史館という
立派なガイダンス施設もある。

歴史館に入って驚かされるのは、実大復元の櫓門だ。
その大きさも去ることながら、室内にあることに驚いた。


展示室も充実している。
中央には見たこともないほど大きくて精巧な1/250の模型があり、
NHK真っ青の本格的な映像が流されている。
壁にはポイントを絞った城の解説や武将に焦点を当てた展示パネルなど。
いやはや、恐れ入りました。


教育委員会のISZKさんの立て板に水の説明を受けながら、
城内をめぐった。

鉢形城は24haの広大な面積があるが、
発掘や整備が行われたのは一部で、多くは手付かずの状態。
だが、驚くほど保存状態が良い。


西側の土塁は未整備だが、非常によく形状をとどめている。
堀からの高さは迫力満点。堀は鉄砲に備えて幅広に作られていた。


なんといっても印象深いのは、天然の堀である深沢川だ。
断崖で敵からの攻撃を防御するだけでなく、
カタクリ群生地のところでは天然の「折れ」も出来ている。





最後に歴史館で整備の経緯やガイド団体の活動などについて
お話を聞いて帰途についた。

今回の視察では、とてもよく整備された城を見せてもらったが
改めて思うのは「遺構が放つ迫力」が大事ということだ。
それは整備・未整備はある意味関係ないのかも知れない。
その点では未整備である増山城は今の状態が一番良いのかも。

などと思いつつ、帰りのバスの中でも整備や活用に関して
活発に意見が飛び交い(おかげで眠れなかった)、
充実した気持ちのまま帰途についた。



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