今日から2日間の日程で、栃木と埼玉の城を視察する。
裏付けられた。いわゆる「宇都宮仕置」のときである。
まず、初日の今日は宇都宮へ。
上信越道の妙高では路面や山肌にかなりの積雪があり、
真冬の様相だったが、関東平野に出ると拍子抜けするほどの快晴。
飛山城は鬼怒川に面した段丘上に築かれた平城で、
鎌倉時代から安土桃山時代まで400ほどの歴史をもつ。
まずはガイダンス施設で教育委員会のKNPI氏から説明を受けた。
飛山城は廃城後も地元民に愛されていた。
最初の城主である芳賀氏の本姓「清原」を地区名に冠している
ことからもそのことがわかる。
地元民によって城の愛護会が組織された。会員は200名を越すほどで
指定管理者制度によって城と歴史体験館の管理を請け負っている。
ガイダンス施設である歴史体験館は立派だった。
展示には工夫が凝らされていた。発掘調査の成果がコンパクトに
しかもわかりやすく、洗練されたデザインで展示されていて
好感が持てた。
城の縄張りもすごい。
平城ということで山城とは一線を画すが、鬼怒川が作り出した
河岸段丘が天然の切岸になっているし、直線的に掘られた空堀は
驚くほどに深い。
外堀のまわりには櫓台が等間隔で設けられていて横矢が効き、
大手には巨大な枡形を作り出している。
まさに実戦タイプの縄張りだ。
城は整備に先立って、100本以上のトレンチを入れて発掘調査が
行われた。結果、建物跡や貯蔵施設などが見つかった。
それら遺構の代表的なものを復元してあった。
発掘では遺構が見つかっただけでなく、廃城の手がかりも掴めた。
堀の堆積土をよく見たところ、自然堆積ではなく短期間のうちに
埋められたことがわかった。これまでは廃城時期を宇都宮氏の滅亡の
ときと考えられていたが、1590年に小田原征伐を果たした豊臣秀吉が
もろもろの城の破却を命じた際に飛山城も廃城になったことが
しかし、宇都宮の冬は寒い。
現地を歩いていると、吹きすさぶ風の寒さが身を切るようだ。
そうこうしていると日が暮れたので飛山城をあとにした。
残念ながら宇都宮城は攻めることが出来なかった。
夜、宇都宮といえばギョーザだろうといこうとで
餃子をつつきながら、話したことは増山城のはじめの調査のこと、
亡くなったMYNさんのこと、戦国祭りのこと、亀山城ガイドのこと
などなど。宇都宮に来ても増山城。
熱い人たちとの視察はなんとも有意義だ。