昨日のつづき。
伊達紋別駅の改札をくぐって函館行きのホームに下りようとすると
「お~い、野原さ~ん!お疲れ様で~す!!」
と元気の良い声が。振り返ると、前日の懇親会でお話をした函館市教委のYSDさん。
「函館に行くんですか?」と聞かれたので、そうだと返答すると
「明日、現地説明会があるんです!
自分が担当なので、もしよろしかったら来てください!」
なんという巡り合わせ。
そんなの行くに決まってるじゃないですか!ってことでYSDさんには
「できたら行きます」程度に返事をして、その場は別れた。
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ここでちょっと、前日の宿泊所の話を。
1週間前に函館周辺のホテルの予約をしようと思ったら超高級ホテル以外、全部満室。
で、唯一空いていた民宿を予約。まあ、錦旅館のこともあるし、ある意味裏切られたら
いいなーと気楽に考え、函館駅に到着。駅からは徒歩5分の好立地。
民宿に到着し、玄関横のフロントを覗いても人の気配がない。
「留守の時はこちらに電話を」とあったので電話をかけると
女性の声で「ゴーメンナサイネ!チョット待ッテテヨ」と片言の日本語が。
待つ事15分。ようやく現れると「ゴメンネ!回転寿司ニ行ッテタヨ」とニコニコ。
ふつうの人なら文句のひとつも言う場面だろうが自分はそういうのは平気。
「ああ、そうだったんですか」といい、部屋に案内され、荷物を置いた。
部屋は四畳半で少し狭いが、なんと部屋にバス・トイレつき!上等じゃないか!
気を良くしていると、さっきの女主人がやってきて「オ茶デモイレヨウカ」と
部屋に入ってきた。
「ドコカラ来タノカ?」
「北陸の富山です」
「富山ッテドコカ?大阪カ?名古屋カ?」
「(もう適当でいいや)だいたい、そのあたりです」
「ソウカ、関西カラ来タンダナ!」
「ええ、そのへんです(汗)。ところで失礼ですが、中国の方ですか?」
「ナニヲ言ウ!中国人ト一緒ニスルナ。私ハ台湾人ヨ」
「失礼しました。じゃあ他に泊まってるのも台湾の方が多いんです?」
「ソウヨ。ホトンドガ台湾人ヨ。デモナ、台湾人ハ日本人ト同ジデ静カダヨ
オマエ、知ラナイノカ?」
こういうやり取りも嫌いじゃないので適当に楽しんだ。
でもその夜、1階のダイニングからは色んな人の声がワーワー聞こえるわ、
階段でネットをする人がいるわ、結局夜中まで大騒ぎ。
ふつうの人ならキーッ!となる所だろうが、なんだか外国に来ているみたいで
ちょっと楽しかったり
朝、宿を出るとき「オマエ、朝イチダナ(たぶん、朝早いな)。マタ来テネ」と
笑顔で見送ってくれた。はい、民宿の話はここまで。
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函館市街から15分ほどの海岸に面したところにある。
いわゆる倭人の城で、1456年に交易をめぐる争いでアイヌが蜂起し
翌年にコシャマインらによって落城している。
城は方形の単郭だが堀は深く、土塁は高い。
史跡整備されていたが、手入れが行き届いていてキレイだった。
車を走らせ函館市縄文文化交流センターへ。
ここは函館市街から1時間ほどかかるので、車がないと厳しい。
予定より15分ほど早く着いたので、センターで展示を拝見。
展示されているのだ。建物は洗練された感じですごくオシャレ。
展示もコリに凝っていて、とってもわかりやすい。恐るべし、函館の縄文。
「ほんとに来てくれたんですか~!!」と感激してくださった。
いやいや、そりゃあ来ますとも。こんなチャンスなかなか無いですから。
ふつうの名所旧跡をめぐってるより、よっぽど面白いはずですから。
遺跡は国指定史跡になっている垣ノ島遺跡(かきのしまいせき)
はじめに結論をいっておくけど、この現地説明会がめちゃくちゃ凄かった!
もうそのスケール感に圧倒されたというか・・・。
今回は史跡内の確認調査。あちこちに試掘トレンチを開けている。
なんといっても見るべきものは、縄文時代の盛土遺構だ!
中期の終わりから後期のはじめまでに構築されたもので、
祭祀や儀礼が行われた空間だといわれている。
再生を願う「送り場」ともいわれ、「貝のない貝塚」と表現されるそうだ。
圧倒されたのは、その規模!!
学校のグランドよりも大きいくらいの遺構なのだ。
見た瞬間、「マジか!!?」と思ったほど。
ほかにも駒ヶ岳やいろんな火山灰、配石遺構、竪穴建物の痕跡が現在も
地表で確認できることなど、見るモノ聞くモノどれもおもしろい。
こういう凄い現場が見れるなんて、ホントに来て良かった。
YSDさん、ありがとうございました。説明もとっても分かりやすかったです。
しかし、これだけの説明会なのだからもっと函館市民は足を運んでもいいのにな。
もったいなや~。いや、本当にもったいないわ~。
ここは展示館と、復元された竪穴建物が数棟ある遺跡公園になっていた。
かなり縄文が日常に浸透しているらしく、交通安全のノボリにまで土偶が。
お昼は後輩に教えてもらった奥芝商店函館本店のスープカレーと決めていたが
縄文ワールドに心酔してしまい、時間がなくなってので今回はパスすることに。
やっぱり函館に来たからには特別史跡 五稜郭を見ておかなくては。
まずはタワーに登って全体像を確認し、縄張りを頭に入れて現地を踏査した。
半月堡、稜堡、長斜坂、見隠塁、主土塁、低塁、空堀をすべてチェック。
いちおう5つの稜堡はすべて歩いた。
どうしても解せないのは半月堡の存在だ。これは馬出し的なものだと思うが
防御性を考慮するならばなぜ1カ所にしか無いのだろう。
稜堡が5つあって、それぞれ同じ土塁の高さ、同じ堀幅なので防御性に優劣はない。
なのに、半月堡は1カ所だけ。本気でやるなら、半月堡は5つないといけない。
ここは2010年に復元オープンしたもので、新しい観光スポットだ。
教委のYSDさんの話では、当時の写真や図面が豊富に残っていることから、
かなり精緻に復元の設計を行ったそうだ。瓦は越前のものだという。
五稜郭は観光客で溢れていたが、こちらは若者たちが4人だけ。
なんなんだ、この差は。史跡としては手入れが行き届いており、
草木のノイズもなく、快適に見て回れる。充分に見応えがある、素晴らしい史跡だ。
ここは五稜郭の背後を固めるために急造された。
地元の言い伝えでは旧幕府脱走軍は地元民を動員して数日でこの城を造ったそうだが
新政府軍に攻撃され、この城を捨てて五稜郭に敗走した。
幕末好きならぜひ訪れておきたい場所だ。
ここは五稜郭と四稜郭の間に位置する台場で、新政府軍の長州藩に占領された場所。
現在は神社が建っていて、裏手には土塁があった。もしや台場の時の土塁?
行こうかどうしようか迷っていた松前藩戸切地陣屋(へきりちじんや)へ。
函館市内から車で約30分。
あまりにも堀と切岸、土塁が素晴らしかったので、
その感動を写真とともに春風亭昇太さんにメールを送ると
「やっぱり大砲での砲撃戦を意識して作った近世の堀は凄いね。
百年前の掘りたてだしな♪」
とすぐにメールが返ってきた。
さすがお城が好きね。
(世界周航記-日本紀行附図- 1812 アダム・J・クルーゼンシュテルン)
つづいて、函館市の北方民族資料館に。
施設も古そうで、あまり期待していなかったが、見事に裏切られた。
アイヌに関する資料がかなり充実していて、展示自体は年代が感じられたが
じっくりとアイヌについて学ぶことができた。ほかにお客さんがいなかったし。
しかし、アイヌの文化にはどうしてこんなに惹かれてしまうのだろう。
ハワイでいう「アロハ」に相当するものらしい。
「あなたの心にそっと触れさせていただきます」という意味らしい。
伊達での理事会懇親会で、阿部ユポ氏が挨拶の冒頭でこの言葉を発し、
伊達市の職員さんが当たり前のように「イランカラプテ」と返すのを見て
少し面食らってしまったが、北海道にいる間、何度かこの言葉を目にしたので
すっかり自分のなかで定着してきた。
ここは国内の地方博物館で先駆的な存在なのだという。
さっと見て回ろうと思ったが、
朝訪れた志苔館跡の近くで出土した古銭の一部(志海苔古銭、約1.6トンもある)や
円筒下層や上層の縄文土器、函館奉行所の古写真や箱館戦争の図解など、
惹き付けられる資料ばかり。でも電車時間がギリギリ迫っていたので
後ろ髪を引かれる思いで館を出た。
函館駅に着いたら出発時間(17:15)のなんと30分前!
こんなに早く着くなんてなかなか無いことだ。
嬉しくなって特急車内で飲むためにワンカップとタラを買ったのだが、
いざ座席にすわると隣にシュッとした外国人の方が「ココ、イイデスカ?」と
いって座ってきたので、少し気が引けてワンカップはやめておいた

本日は室蘭に投宿。
またまた後輩に教えてもらった室蘭名物、豚肉の“焼き鳥”をいただき
ホテルでラッキーなことにBS1が放送されていたので
森本誠選手のドキュメンタリーを見て、気持ち良くご就寝。
あー、今日も良い日だ。