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Channel: 学芸員の小部屋
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【養成講座】ガイドの星をめざせ!

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増山城ボランティアガイド養成講座の初日。
今日は軍師の佐伯哲也氏に「増山城の縄張りを読み解く」ということで、
半日じっくりと増山城を解説してもらった。

軍師はポイントを3点に集約。

1)本丸(二ノ丸)
2)大手(城の正面)
3)総曲輪(城の外郭)


まずは本丸である二ノ丸に向かった。
息を切らしている人もたくさんいたが、先生はスイスイと登って行く。
軍師は二ノ丸がなぜ主郭と認定できるのかその根拠を示された。
理由は「どのルートからも遠く、敵の攻撃が最後に及ぶ場所である」から。
また虎口が明確で、外桝形となっている点も。


二ノ丸の神水鉢。
この石には手水鉢、旗台石、塔心礎の3つの説がある。
軍師はここにはミニチュアの五重塔があったと推定。

受講生には穴に手を入れて深さを確かめるツワモノも。
おお、今回の受講生は頼もしいゾ。

このあと、馬洗池あたりで大規模な空堀の長所と短所についての話。
城の中心部の空堀は県内では屈指の規模を誇るが、堀が深く幅が広いがために
一旦敵に攻められると曲輪が孤立してしまうという弱点があるとのこと。

う~ん、なるほど。

鐘搗堂や南櫓台を見て、大手を推察するために七曲がりから馬之背ゴへ移動。
そして三ノ丸から安室屋敷北郭方面へ行って午前の部は終了。



午後はオプショナルツアーとして、希望者を募って壇城(庄城)へ。
桜が満開の弁天温泉を通り、道をかきわけて山城を登った。

山城には主郭に平坦面や土塁があり、尾根筋には竪堀や堀切が何本も。
しかし、攻められて供給路を断たれると2~3日しか持たないとのこと。

この壇城は平坦部から試掘で14~15世紀の遺物が出土しているが、
山城は出土遺物や構造的にみて16世紀。両者には時代的な隔たりがある。
なぜこのようなギャップがあるのか、今後の課題だ。


平坦部に下りてきて、田んぼの畦を歩いていると
軍師が珠洲片を発見!さすがは軍師、目のつけどころが違う。

しかもこの珠洲片。口縁部なので年代が特定可能。
14世紀前半(吉岡編年Ⅳ期)あたりだろうか。

とまあ、最後にオマケもついて幸先の良い開講日となった。
参加した皆さんも満足げ。今回の受講生には20~30代の方々もチラホラいて
高齢化が進む曲輪の会にとっては明るい兆しだ。

また来月、次回の講座が楽しみになる初回だった。



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