剱岳とは「試練と憧れ」の山である。
2009年に公開の映画「剱岳点の記」に感動し、それ以来剱岳への憧れは日に日に増していった。10年経った2019年、9月13日〜15日の日程で富山考古学会70周年特別例会として剱岳山頂踏査を企画した。これはその記録である。
9月13日(金)10時、地鉄立山駅に集合。メンバーはYMMT会長はじめYMMR・YS・MUR・MRT・野原大輔の6名、ガイドは本郷博毅・HSD(後で剱澤小屋で合流)の2名である。まず材木石を横目に見ながら満員のケーブルカーに揺られて美女平駅まで行き、バスに乗り換え。車窓から仙洞杉や称名滝、弥陀ヶ原の池塘(がきの田)、薬師岳や大日岳を眺めつつ、1時間余りで室堂に到着した。
今回は何はともあれ絶好の天気巡りだ。
11時10分、玉殿の湧水で本郷氏から簡単に登山のレクチャーとアイテムチェックを受けた後、いよいよ出発となった。この三連休は天候の巡りが良く、人出が多い。連休中日には数百人が剱岳に押し掛け渋滞が発生する見込みだという。
硫黄の香りを嗅ぎながら、みくりが池を通り、雷鳥沢キャンプ場のカラフルなテント群を抜け、11時55分に称名川の川岸で休んだ。
束の間の休息も程々に、眼前には劔御前まで雷鳥沢の急坂が立ちはだかる。見上げても頂上が見えない。心を奮い立たせ、ひたすら足元に目をやりながら一歩ずつ歩を進める。半袖シャツだが額から汗が滴り落ち、息が切れる。ストックのおかげで多少負荷は低減されるが、普段使わない足の筋肉が悲鳴をあげる。途中、大型の猛禽類が我々の上空で旋回しており、一同から歓声があがった。這うようにして劔御前小舎に辿り着き、昼食のおにぎりを頬張ってエネルギーを充填した。約1時間40分の登坂だった。
そこからは下りだ。あたり一面にガスがかかり、行く手の視界が遮られる。本郷氏が「あそこに剱岳があります!」と霧の中を指差し、笑いが起きる。足元には大きな岩が多く段差がある。足を運ぶ度に膝にジワリと小さなダメージが蓄積していく感覚があった。
半分ほど下った所で景色を一望すると、正面には雲に覆われた剱岳、後ろには急峻な斜面の別山、左手には劔御前という雄大なロケーションの真っ只中に我々はいた。非日常的な景色を目の当たりにし、下界のゴタゴタがちっぽけに感じられた。
少し下り、14時30分に剱澤小屋に到着。はっきり言えば今日の山行は剱岳登山前の準備運動くらいに思っていたが、かなり疲労した。
部屋に荷物を置き、休憩もそこそこに15時から本郷ガイドによる装備のレクチャーがあった。翌日の剱岳アタックに備えてハーネスの取り付け方、ヘルメットとヘッドランプの装着の仕方など実際に身につけながらの講習だ。自然と緊張感が高まる。
剱澤小屋は山小屋としては最上位にランクされる快適さだという。事実、シャワーは完備、トイレも水洗で清潔、部屋はきれい、受付ではビールやつまみも購入可能で、標高の高い山にいると思えない充実ぶりだ。
15時30分にシャワーを浴びて、明日のため荷物をまとめ直し、少し時間の余裕ができたのでビールで乾杯。YMMT氏はペットボトル入りのシーバスリーガル12年、YMMR氏は98%のウォッカ、MUR氏は携行食にもなるビーフジャーキーを持参。山慣れした方々の知恵の恩恵に授からせていただいた。
17時50分からお待ちかねの夕食である。不思議なことに、10分ごとに客がコールされる。これは揚げたてのトンカツを間髪入れずに提供するための工夫という。山上でこんなに腹一杯温かいご飯を食べられると思わなかった。心もお腹も満たされた気分になった。
食後、早々に部屋に引きこもり、YMMT氏の百名山巡りの話やYMMR氏が富士山頂上で4週間暮らした話などを聞いていると段々とまぶたが重くなっていった。
この日、初めて耳栓をして寝た。